いまち月のハコニワ

発達障害&卵巣嚢腫と生きるアラサーガールブログ

WAIS‐Ⅲの結果を公開!数値から読み取れる日常の困難と対処法

こんにちは、いまちです。

 

前回、 【WAIS‐Ⅲ】大人の発達障害を受けたい人が知っておくべきこと(体験記)で、WAIS‐Ⅲとバウムツリーテストを受けた様子をお伝えしました。

 

今回は、その結果と所見をまとめてみたいと思います。

 

発達障害かどうかを調べるために受けたのですが、数値から自分がどんなことが苦手で、どういう風にしていったら日常の困難が減るのかも見えてきましたよ!

 

WAIS‐Ⅲとバウムツリーテストについては、前回の記事を参考にしてね!

いまちの失敗談から、WAIS‐Ⅲを受けるときの注意点もわかるぞ。

しっ…!

 

 

 

WAIS-Ⅲ検査結果

 

結果の数値を表にしたものがこちら。

 

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知的水準

全検査IQ…107(平均~平均の上)

言語性IQ…119(平均の上~高い)

動作性IQ…90(平均の下~平均)

 

【群指数】

言語理解…118(平均の上~高い)

作動記憶…123(平均の上~高い)

知覚統合…97(平均)

処理速度…84(境界線~平均)

 

【下位検査項目】

単語…14(言語)

類似…12(言語)

知識…14(言語)

理解…12

算数…9 (言語)

数唱…17(言語)

語音…16(言語)

 

配列…8

完成…8(動作)

積み木…9 (動作)

行列…12  (動作)

符号…6   (動作)

記号…8    (動作)

 

 

さらに、それぞれの下位検査項目ごとの数値をグラフ化したものがこちら。

 

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 ギザッギザしてますねぇ…。

 

数唱の17と語音お16が角みたいにぴーん!と出ているのに対し、符号6、配列8、完成8、記号8ががくーんと落ちてますね。

 

この差について、心理士さんの分析を下で述べていきます。

 

WAIS‐Ⅲの結果を受けた分析

 

 全検査IQは107で、こちらは平均の範囲内。

 

ただし、WAIS‐Ⅲで重要なのは、群指数および下位検査項目間の数値の差です。

 

群指数の値では、わたしの得意・苦手がはっきりと数値化されていました

 

群指数の数値

 

語理解…118

比較的高い数値が出ており、言葉を使って物事を理解したり、表現したりすることは得意なようでした。

たしかに、文章を書いたりすることは昔から苦手ではなかったと思います。

作文はあまり好きではなかったのですが、それはまた別の問題だと思います。作文というものに興味をもてなくて意欲的に取り組めなかったのが原因だと思うので…。

文章を構成することに関しては、それほど苦しんだ記憶がないですね。

 

動記憶…123

これがわたしの中で最高値でした。

記憶力がとにかくいいので、暗記は得意中の得意ですし、受験なんかも短期集中でがーっと覚えてテストに臨んで一瞬で忘れるみたいなやり方でやってました。汗

いわゆるワーキングメモリーってやつですが、わたしの場合ここには難がないようで、聞いたことを一時的に覚えるのはかなり得意みたいでした。

わたしはスマホで脱出ゲームを年中やるのですが、いつもまったくメモは取らずに全部覚えて頭の中で処理して解いてしまえるというのも、作動記憶の高さゆえなんだな~と思いました。

 

覚統合…97

これはたしかに苦手かもしれん、という感じです。

知覚統合は目で見たものの処理能力ですが、日常的に苦手なんだな、と感じる場面がけっこうあります。

たとえば、子供の頃ぬりえが下手くそだったこと、手本を見せられても折り紙が折れない、本を読んでいてちょっと目を離すとどこを読んでいたのか見失うことがよくあるなど。 

目で見て見て全体を把握すること・模倣することの苦手が現れている結果だといえます。

 

理速度…84

これがわたしの中でもっとも値の低い結果に。

自分的には、「でしょうねぇ…」という感じでした。

昔から何をやらせても遅くて、友人にも「のろま」と言われ続けてきましたから、自覚はがっつりあり。

また、処理速度の低数値は手先の器用さにも関連があるようで、わたしは手先が不器用だと想像できるのだとか。

たしかに、子供の頃から女子にしては字は汚いし、髪の毛を結ぶとぐちゃぐちゃになるし、ピアノもつっかえてばっかりで上達しなかったし、手先は不器用なのだと思います…。

それにしても、「境界線」という数値が出たのは驚きでした。精神遅滞ではないぎりぎりのライン、ということのようです…。汗

 

群指数の差

 

群指数では、最大39の差が見られました。

作動記憶123と処理速度84のあいだの差で、これは100人中1人に見られる差なんだそうです。

 

 え、100人に1人って、けっこう少数派じゃないか…?

作動記憶が平均以上なのに対して、処理速度は境界線なんだから無理ないよね。自分の中だけで学力格差が生まれてるような状態だ…

大変だね(憐みの目)

・・・

 

全体でみると、作動記憶≒言語理解>知覚統合>処理速度という結果になりました。

 

人は、数値の高い項目を自分の能力レベルと認知しているそうなのですが、他人からは数値の低い項目がその人の能力レベルだと思われる傾向にあるそうです。

 

わたしの場合、自分では作動記憶123が自分の能力値だと思っているけれど、他人からは処理速度84の人間だと思われているわけです。

 

自分ではけっこう能力高いと思い込んでいた(実際そうかも)のに、周りからは境界線くらいの能力だと思われていたんですね…。生きづらいわけだ。

 

所見

 

 全検査IQは107と平均的なものの、言語性IQと動作性IQとのあいだに有意な差が認められたことから、現実適応に困難が生じるとのことでした。

 

ちなみに、言語性IQと動作性IQの差が15以上あると、発達障害の疑いが強いと判断できるんだって!

いまちは二つのIQの差が29だから、発達障害がかなり疑わしい、ということなんだな。

 

作業スピードに問題あり 

 

また、動作性IQが低いことから浮上するのが、作業スピードの問題。

 

処理速度(下位検査項目の符号、記号)の数値が低いことから、一般的な作業(事務作業や問題を解くなどの実際に手を動かすこと)を行い際に、行動が遅く人よりも時間がかかることがわかりました。

 

特に目で見て手元で作業をするものに関しては、それが顕著になるそう。

 

具体的には、

  • はさみを使う
  • 絵を描く
  • 字や絵を写す
  • パソコンのキーボードを打つ

など。

 

処理速度は手先の器用さにも関わる数値なのですが、わたしは手を動かすことそのものが遅く、周りのスピードに合わせようと必死になるため、手元の作業は人よりも疲れやすい傾向にあるのだとか。

 

特に、言語性IQが高く、思考能力が高いため、自分の作業スピードの遅さにもどかしさを覚えてストレスを感じるのだそう。

 

心理士さんいわく、

 

頭で考えたことの半分くらいを目標にするのがちょうど良いくらいですよ。思考力に作業スピードが追いつかないので。

 

らしいです。

 

検査時の様子から見えてきたこと

 

さらに検査中のわたしの様子から、驚くべきことがわかってきました。

 

わたしは頭では常識的な行動をある程度把握しているそうなのですが、場にそぐわない行動や反応をする場面が多々見られたそうです。

 

特に感情表現が極めて大きく、具体的には、

  • できない問題があると「えっ!!」と急に大声を出す
  • わからないと机に突っ伏してしまう
  • 突然笑い出す

といった行動が見られたそうです。

 

ちなみにこれらの行動を、検査中にしていた記憶はありません…完全に無意識でやってます。汗

 

 その場の雰囲気に自分の行動が合っているか、周囲からどう見られるかということに対して、あまり気にしない傾向があるのだそうです。世にいう「KY」ってやつでしょうかね。

 

このためその場の空気を読んで行動したり、他者の気持ちになって考えたりすることが難しく、対人関係の難しさに影響していると考えられるのだそうです。

 

バウムツリーテスト結果

 

WAIS‐Ⅲと共に受けた、精神・心理状態をチェックするためのバウムツリーテストでは、

 

バウムツリーテスト

↑こんなお世辞にも上手いとは言えないような微妙過ぎる絵を描いたわたしですが。

 

こんな絵で何かわかんのかい!と思っていましたが、心理士さんいわく、

 

精神的エネルギーはもっているけれど、エネルギーの出入力がうまく行われていない状態ですね。
自分のもつ力を十分に発揮できていない不全感を感じているのかもしれません。

 

とのことでした。

 

まとめ

 

WAIS‐Ⅲの結果を見る限り、発達障害の可能性が高いことがわかりました。

 

なんかほっとした、というのが正直なところですね。

 

特に言語性IQが高く、動作性IQが低いことから、学生時代はなんとか過ごしてこられたのに社会に出てから苦労する理由がわかった気がして、モヤモヤが晴れた感じです。

 

WAIS‐Ⅲを受けようか迷っている方には、わたし自身結果を知ることができ、自分が何者なのかわかる「自分のトリセツ」を手に入れてかなり安心したので、ぜひ受けることをおすすめしたいです!

 

今回の結果を、うまく今後の生活に活かしていきたいね!

大事なのは、頭で考えたことの半分を目標に、だぞ!

 

 

【WAIS-Ⅲ】大人の発達障害検査を受けたい人が知っておくべきこと(体験記)

 

こんにちは、いまちです。

 

今回は、わたしがWAIS‐Ⅲなどの発達障害の検査を受けたときの体験をまとめます。

 

検査を受けられる病院の探し方もご紹介します!

 

検査の内容や受けてみてわかった注意点など、検査前に知っておいてほしいことは「検査(問診、WAIS-Ⅲ、バウムツリーテスト)の内容と注意点」の項目にありますので、そこだけ知りたい方は目次からジャンプしてくださいね!

 

めっちゃ焦ったんですわ…

何があったんだよ…

 

ADHDを含む発達障害を疑うようになるまでのいきさつは、下の記事にまとめてありますので、よければこちらもどうぞ。病的に努力が苦手でうつ病にまでかかったダメダメ人生です。 

  

 

受けたいと思ったら?

まず受けられる病院を探そう

 

発達障害の検査は、心療内科や精神科などの病院で予約して受けることができます。

 

発達障害の診療を実施している全国の病院を、以下のサイトから探すことができます。

 

病院を探す | メンタルナビ  

 

ただ、表示されたクリニックがWAIS‐Ⅲ等の発達障害の検査を実際に実施しているかどうかは、直接クリニックのHPを見るか、電話をするなどして確認してくださいね!

 

心療内科で相談することに

 

運のいいことに、わたしの通う心療内科は、大人の発達障害診断を実施しているクリニックでした。

 

思い立ったら吉日な性分(たぶんこれもADHDの特性)なので、すぐにクリニックに電話で相談。

 

すると、「次回の診療の際に担当の先生に診断が必要かどうか聞いてみてください」との返答。

 

なんと...医師から必要と認められなければ診断自体が受けられないとは...

 

とにかく診断を受けないことには何も進めない、と思い、何故診断を受けたいと思ったのかをしっかり説明できるように事前に考えておきました。

 

さらに、日常生活で困っていることをリストアップしてまとめた紙を作りました。

 

これをしておいたので、自分でもどんなことに悩んでいるのかを明確に説明できるようになったと思います。

 

クリニックでの診察日、普段の診察内容のあと、「大人の発達障害診断を受けたいということだけれど...」と先生の方から切り出してくれました。そこで、

 

 今まで自分はどうしてこんなに怠け者なんだろうと思ってきました。
それまで発達障害だとは全然考えたことがありませんでしたが、発達障害のことを調べたら自分に当てはまっていることが多くて、もしかして、と思いました。
もしそうなのだとしたら、それならそれではっきりわかっていた方が、一番自分のためになると思うので、診断を受けたいです。 

 

そんな風に説明しました。

 

私の担当医の先生は、必要ないなら必要ないとはっきり言うような方だったので、少し不安でしたが、結果的に受けられるように手配してくれることになりました。

 

ただ、診断には保険がきかないので自費で3万円くらいかかること、他にも希望者がいて順番なので、診断を受けるまでに2ヶ月ほど待たなければならないことを説明されました。

 

ちなみに、よくよく調べると、現在WAIS-Ⅲの検査は無料や安い料金で受けられるところも多いみたいなので、いろいろ調べてから行かれることを強くお勧めします。

 

ようするに、わたしの通っていた病院の料金はぼったくりだったということですよ、ええ。

 

検査(問診、WAIS-Ⅲ、バウムツリーテスト)の内容と注意点

 

2017年11月末、発達障害の検査を受けました。

 

検査内容は、

 

  • 問診
  • WAIS-Ⅲという知能検査
  • バウムツリーテスト

 

の3つ。

 

いつもの精神科医の先生ではなく、心理士の先生と1対1で、二回に分けて行われました。

 

初めの日は問診。

 

そして二回目に、WAIS-Ⅲとバームツリーテストを受けました。

 

受けてみて思ったのは、問診では何を話すかをしっかり考えて準備しておくべきですが、WAIS-Ⅲは本当に何も前情報がない状態で受けた方がいいということでした。

 

問診

 

心理士の先生と1対1で行い、わたしが日々困っていることや、子供の頃のことなどを主に聞かれました。

 

が、日々の困りごとをけっこう聞かれると思っていたのですが、予想に反し、実際は子供の頃の話が話題の中心でした。

 

それも、「子供の頃のことを話してほしい」と漠然と言われて、何も話す内容を考えていなかったわたしは焦りまくりました...。

 

わたしは想定外のことを上手くこなせない質なので、「えーと、どうだったっけ...」と考え込んでしまい、短い問診時間だけがどんどん過ぎてしまうという事態になってしまいました。

 

その日、母子手帳と小学校からの通信簿を持ってきてください、と言われて持参していたので、それで子供の頃のことはわかるからいいかな...と思い油断していたんです。

 

だから、これからもし発達障害の診断を受けるという方は、問診で子供の頃のことを聞かれると思うので、何を話すか考えておいた方がいいです

 

おすすめは、日常生活で困っていること同様、エピソードなどをリスト化して紙にまとめて置き、それを持参して話すこと。

 

話し忘れも防止でき、もし上手く話せなかった場合は、心理士の先生に渡して読んでもらっても大丈夫です。

 

わたしは最終的に自宅に帰ってから紙に書き出してみて、次にWAIS‐Ⅲ を受ける日にその紙を心理士さんに渡しました。

 

 

これ、本当に事前に知りたかった…!
発達障害臨機応変が苦手なので、本当ちゃんと準備していってくださいね…!

 

WAIS-Ⅲ

 

WAIS-Ⅲ は知能指数を調べる検査で、4つの能力のIQ値から、得意・苦手を調べます。

 

発達障害がある場合、得意と苦手の差が大きく出ること(ディスクレパンシー)が多いため、診断の手がかりになります。

 

ディスクレパンシーが大きいと、診断結果を折れ線グラフ化したとき、各項目間の差が見えるギザギザとした形になるのが特徴です。

 

WAIS-Ⅲは、当日の問題は全て回収され、持ち帰れないようになっています。

 

それは、公開してしまうとまだ受けていない人が見てしまって、検査結果に影響があるからだと思われます。

 

つまり、WAIS-Ⅲ を受ける前には、検査内容について何も知らない方がいいのです。

 

が、わたしは問診で失敗したことで焦ってしまい、「WAIS-Ⅲ はちゃんと受けて正しい結果を出してもらわなきゃ!」と思ってWAIS-Ⅲのことを調べまくりました…。汗

 

もちろん検査で出る問題自体はネットや本には載っていませんでしたが、検査がどんな流れで行われて、どんな種類のテストがあるのかなどは普通に情報が出ていて、事前におおよそ知ることができました。

 

しかし、検査を受けてみて、問題の内容に触れなくても、検査前にWAIS-Ⅲについて何も知らない状態で受けた方が良かったかも、と本当に思いました。

 

それは、前もって知っていることで検査の成績が底上げされてしまう恐れがあるから。

 

WAIS-Ⅲでは、テストが始まる前にそれぞれの問題のやり方の説明があります。

 

わたしは前もってwais3 について調べてしまったので、説明を受ける前からやり方がわかっていましたが、もしそこで初めてやり方を説明されていたとしたら、一回の説明でそれぞれのやり方を理解できたかどうかわかりません。

 

また、頭で理解できても、実際にそれをすぐ実行できたかどうかも不明です。

 

わたしは頭で理解できてもそれをすぐ実行するのが苦手な性質なので、なおのこと何も知らない状態で受けるべきだったと思いました。

 

まあ、実際にはそこまで結果が大きく変わってしまったとは思いませんが、もし何も知らない状態で受けていたら、苦手が強調されてもしかするともっとディスクレパンシーが激しく出たかもしれません。

 

この記事を読んでくださった方は、もうこれ以上WAIS‐Ⅲのことを詳細に調べないで行ってくださいね!
調べるなら、検査が終わってからいくらでも調べていいから!

(必死だなぁ…)

 

バウムツリーテスト

 

これは、精神・心理状態をチェックするために用いるテストだそうです。

 

発達障害には直接は関係ありませんが、日常生活にどのような困難があるのか判断するひとつの材料になるそうです。

 

白いA4ほどの紙と黒のペンを渡され、「ここに実のなる木の絵を描いてください」と言われるので、自分の思う実のなる木の絵を描いていきました。

 

WAIS‐Ⅲのあとにやって、だいぶ疲れていたし気を抜いていたので、なんかぺらぺらしゃべりながらささっと描いて完成させた記憶があります…もっと丁寧にちゃんと描けばよかったかしら。

 

ちなみに、こんな下手くそ&適当過ぎる「実のなる木」を、「わたし絵がめちゃ下手くそなんですよ~」とかしゃべりながら10秒ほどでちゃちゃ~っと描いた気がします↓

 

バウムツリーテスト

↑本当にしゃれにならないくらいめちゃくちゃ下手くそですね

 

まとめ

 

今回は、WAIS-Ⅲを受けるまでと、その内容についてまとめてみました。

 

内容といっても、検査の詳しい内容は知らずに受けた方がいいので、ざっくりとしたものに留めましたが。

 

次回は検査の結果と、その数値からわかった苦手や対処法をまとめていきたいと思います! 

 

 

 

 

ダメな自分を許せない。心を解放するための3つの方法

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こんにちは、いまちです。

 

今回は、自分に自信がない人が、どうしたら自分に自信をもつことができるようになるかについてまとめていきたいと思います。

 

わたし自身、以前は自分にまったく自信がもてず、情けなさに押し潰されそうに思いながら生きていた時期がありました。

 

そんなわたしも今は自分を許し、劣等感から解放され自信をもって生きられるようになったのですが、それを実現させるために大切だと感じたことが3つあります。

 

今回はその3つの大切なことをご紹介いたします。

 

 

劣等感から解放されるために大切にすべき3つのこと

 

それまで逃げてきたことに挑戦してみる

 

 

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自分に自信がない人は、過去の失敗を長く引きずってしまっていることがあります。

 

失敗がトラウマになり、その恐怖から逃げることで自分を守っていませんか?

 

もちろん、逃げることは悪いことではありません。

 

生きるために逃げるのが必要なこともありますし、つらくて死にそうなほどならば全力で逃げるべきです。

 

ただ、もしあなたが逃げたことで劣等感を抱き、それがかえって自分の心を深く傷つけてしまっているならば、一度逃げることをストップしてみましょう。

 

逃げたことで生まれた劣等感は、そこに向き合うことでしか消すことはできません。

 

ですから、それまで自分が逃げてきたことに、あえて再挑戦してみます。

 

もし再挑戦できないようなことの場合は、何か別の苦手なことにトライしてみましょう。

 

ここで大事なのは、再挑戦して成功するかどうかではなく、「再挑戦できた」という事実です。

 

たとえそれがまた失敗してしまったとしても、トラウマにきちんと向き合えたということが大切なのです。

 

この方法には注意点があり、うつ病適応障害など、精神が不安定なときに行うと、症状を悪化させてしまう恐れがあり危険です。

 

トラウマに向き合う体験は、そのくらい精神力を消耗するエネルギーのいることなのです。

 

精神科や心療内科などにかかられている場合は、お医者さんと相談しながら行うことをお勧めします。

 

人からの評価はどうでもいいと知る

 

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自信がもてない理由のひとつに、人からどう思われているか、ついつい気にしてしまうということが挙げられるでしょう。

 

例えば、周囲に「そろそろ結婚したら?みんなしてるしゃない」などと急かされると、早く結婚しないといけない、と焦ってしまうように、人は他人の言葉に振り回されがちです。

 

特に、「こうあるべき、こうしないとダメ」など、人の理想を押し付けるような言葉には強制的なパワーがあるので、つい捉われて悩んでしまうのです。

 

しかし、あなたの人生は、当然ですがあなただけしか生きられません

 

他人の意見も所詮は外野。

外野がどうあるべきと言ったとしても、その人生を生きるのはあなたです。

 

言われた相手が家族や親戚など、近しい間柄だったとしても、みんな外野です。あなたへの強制力なんてもっていません。

 

他人の意見は気にしなくていいのです。

 

もし、他人から言われたことで、上の項で述べた「逃げていること」に再挑戦しなきゃと焦っているなら、焦る必要はありません。

 

上でも述べた通り、嫌なことに向き合うのには大きな精神力が必要になるのですから、自分のペースで、自分のタイミングで行えば良いのです。

 

何年かかっても構いません。

誰かに言われたからとすぐに行動する必要はないのです。

 

それに、あなたが思っているほど、周囲の人はあなたの人生に良い意味で関心がありません

 

お節介な言葉をかけてくる人がいたとしても、それはちょっとしたアドバイスくらいの気持ちで言っているに過ぎないのです。

 

そのアドバイスを負担だと感じるなら、聞き流してしまって構いません

 

あなたの人生を良い、悪いと評価できる人間なんて、この世に誰もいないということを覚えておいてください。

 

そのままの自分を受け入れてくれる人のそばにいる

 

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これは大切なことですが、意外と難しい問題です。

 

上の項で述べた通り、他人の意見や評価に振り回されるのは非常につらいことです。

 

ですが反対に、あなたをそのまま受け入れて見守ってくれる人のそばで生きることは、あなたの自信を回復させるのにとても効果的です。

 

もしあなたの家族や親戚、友人や恋人が、今のあなたを受け入れておらず、理想を押し付けてきて苦しいなら、あなたの苦しみを説明して理解してもらう必要があります。

 

そうして、そのままのあなたで良い、焦らずに生きていけば良い、と思ってもらうことが理想的です。

 

が、どんなに説明しても受け入れてもらえず、怒ったり馬鹿にしたりしてくるなど、あなたをさらに不安にさせるような人もいるかもしれません。

 

そういう人からは、そっと離れていきましょう

 

大切なのは、そのままのあなたを認め、見守ってくれる人たちの存在です。

 

あなたの周りのそういう人たちとの関係を、ぜひ大切にしてください。

 

親、きょうだい、友人、同僚、パートナー、もしくはかかっている病院の医師やカウンセラーなど、誰であっても構いません。

 

今、身近にそういう人が思い当たらない人にとっては難しい問題だと思いますが、そのままのあなたを認めてくれる人が必ずいます。

 

その人たちの存在は、あなたが自信を取り戻すための大きな手助けになるはずです。

 

まとめ

 

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自分に自信をもつために大切なことは、

 

  • 苦手なことを克服する
  • 人からの評価は気にしない
  • そのままのあなたを受け入れてくれる人のそばで生きる

 

の3つです。

 

何からどうすれば良いのかわからない人は、まずそのままのあなたを受け入れてくれる人を探して相談してみましょう。

 

身近にいない場合は、クリニックを受診して医師やカウンセラーに話を聞いてもらうと良いでしょう。

 

大事なのは、自分のペースで行うことです。

 

焦らずにいきましょうね。

 

 

振られた。心が痛い日々を乗り越えて気付いた大切なこと

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こんにちは、いまちです。

 

今回は、恋人に振られて気付いた大切なことを、わたし自身の体験談からお伝えしていきたいと思います。

 

わたしは1年ほど前に恋人から振られ、ショックで寝込むほどつらい思いをしました。

 

恥ずかしながらこの世の終わりというくらい苦しんだのですが、今は別れてよかったと思えています。

 

振られたばかりでしんどい方に、ぜひ読んでほしいです。

 

「仕事に集中したい」と振られ、泣き喚く

 

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時は1年ほど前。

 

わたしは当時付き合っていた恋人から振られてしまいました。

 

原因は、わたしの結婚願望の強さと、彼が仕事に集中したい時期だったということ。

 

彼はこう言いました。

「今、もう少し難しい仕事にチャレンジしていきたいと思っている。きみは結婚をかなり強く考えているけれど、今の僕にはそれに応えられない。僕にはきみを支えきれない

 

ショックでした。

わたしは、彼も結婚を前向きに考えてくれていると思い込んでいたんです。

 

けれど、彼は実際は、結婚なんてもっと先でいいから、今は仕事に没頭したいようでした。

 

その当時、わたしの結婚願望はかなり強い方でした。

 

わたしには発達障害があり、またそれが誘引となってうつ病にかかった経験もあり、今は非正規雇用で働いています。

 

しかし、その自分の働き方に不安があり、結婚をして支えられながら自分にできる働き方をしていきたいという気持ちがありました。

 

わたしのその思いが悪い方に伝わってしまったのでしょう。

 

彼はわたしのうつ病なども知っていて付き合ってくれていたので、そういうわたしの思いも受け入れてくれていると勝手に思っていました。

 

しかし、実際には彼はそれが重圧に感じられていたのでした。

 

別れの言葉を告げられ、振られたとき、彼にすがって散々泣き喚いてしまいました。

 

こういうところも、おそらく「支えきれない」、重いところだったでしょうね。

 

復縁の方法ばかり考えてた、引きずりまくる日々

 

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振られた直後、頭の中は復縁でいっぱいでした。

 

仕事の行き帰りの電車の中、夜の布団の中、トイレの中(笑)、本当にどこででも怖いくらいネットで「失恋 復縁」とかについてググってました...。

 

本当、今ならその時の自分を引っぱたいてやりたいくらい馬鹿だなぁと思います

 

でも、振られた直後って死ぬほどつらくて、もうこのつらさには終わりなんてないんじゃないかなと思うくらいめちゃくちゃつらい。

 

つらさから立ち直るには、復縁するしかない、という気持ちがすごく強かったです。

 

未練たらたらってやつですね。

 

しかし、失恋に関するいろんなサイトやブログを見ていくうちに、振られたからこそ知ることができる大切なことに気づいていきました。

 

前に進みたいなら、今までの自分を変えなくちゃいけない

 

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それは、自分を変えなくちゃならないということ。

 

振られたということは、少なからず自分に問題があるという意味です。

 

もし復縁をしたいと思うなら、当然その問題点を直さなくてはなりません。

 

また、復縁を望んでいないとしても、自分の問題点を直さない限り、誰とお付き合いをしても同じことを繰り返す可能性があります。

 

どのみち前に進むためには、自分を変える必要があったのです。

 

わたしが振られた原因は、彼の仕事が忙しい時にわたしが彼に精神的に頼りまくってしまったことでした。

 

彼はそれを重圧に感じて、わたしから逃げたくなったのだと思います。

 

誰かに精神的に頼りたくなってしまう自分を、変えなくちゃいけないと気付きました。

 

強くなりたい。

 

彼に振られた経験は、心からそう思うきっかけになりました。

 

振られたのをきっかけに自分を磨きたいと思えた

 

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わたしはそれまで自分に自信が全くなく、自分のことを心のどこかで「情けない」と思っているところがありました。

 

また、そのせいかすぐに不安になり、誰かに頼ってしまいたくなる依存体質的な面がありました。

 

わたしが自分に自信がなかった理由は、以下の3つ。

  • うつ病にかかり就活を投げ出した過去があり、そのことに引け目を感じていた。
  • 非常勤で働いているため収入が少なく、ずっと実家暮らしである。
  • 得意なことや人に誇れるようなことが何もなかった。

 

これを1つ1つ克服していくことで、自分に自信を付け、強い心をもてる、と考え、その次は具体的にどうやって克服していこうか…と思索しました。

 

こうやって、自分ときっちり向き合って課題に取り組むことで、彼以外のことを考える時間がどんどん長くなっていったのは、とても良かったと思います。

 

最初のうちは毎日とてもつらかったのですが、徐々に彼のことを考えない時間が伸び、それに慣れていきました。

 

時間って、本当に薬なんだな…と身に染みて感じましたね。

 

心が痛くて痛くて、本当にしんどくて、でもそういうときは無理矢理にでも彼のことを考えるのをやめる

 

わたしの場合は、気を抜くとすぐ彼のことを考えてしまっているくらいだったので、かなり無理矢理別のことを考えるようにしていましたが、それは正しかったなぁと思います。

 

振られた直後は死んでも慣れるもんかと思うのですが、慣れるんです。不思議です。

人間の心は上手くできているなぁと思います。

 

その後、わたしは転職活動を始め、苦手な履歴書を書いたり、トラウマだった面接を受けたりすることで、「なんだ、自分もやればちゃんとできるんじゃん!」と少し自信をもつことができました。

 

結局転職はせず、非正規の仕事を続けているのですが、この時の転職活動は本当に良い経験になったと感じています。

 

さらにこの時の履歴書を書く経験は、自分の長所や強みをあぶり出す必要があったため、それまでにないくらいに自分と向き合い、いやでも自分の良いところを見つけることができました。笑

 

転職活動をやめてからは、実家を出て自分の収入だけで暮らしていけるようになるため、1日6時間勤務だった仕事を8時間勤務にまで増やし、収入をアップさせることに成功。

 

わたしにはかなりきつく、たまに体調を崩しますが、今のところ頑張ることができています。

 

今後お金がある程度貯まって、仕事のペースに慣れてきたら、実家を出ることを前向きに検討したいと考えています。

 

こんな風に、振られた直後は復縁したいから、という理由が強く念頭にあって自分磨きを始めたのですが、気付けばただただ自分の人生の質を上げるためだけに頑張ることができていました

 

 気が付くと時間が経っていた

 

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こうして失恋を原点に、自分を変えようと奔走すること1年。

 

すっかり彼に振られたつらさは忘れ、彼への想いそのものも薄れてきました。

 

当初は本当につら過ぎて、復縁のことしか考えられなかったのですが、今振り返ってみれば、あんなに彼にばかり固執してしまう自分は少し異常だったのかもしれない、と冷静に考えることができます。

 

自分の中の気持ちの比重が彼にばかり偏っていて、もっと自分の人生を色鮮やかにするような景色が見えていなかったのかも、と。

 

恋愛はそれにばかり夢中になるのではなく、仕事や友達、自分の時間などとバランスを取りながら楽しむことが必要なのだと強く感じました。

 

特に、恋愛に溺れて自分自身のことを大切にしてあげることができていないと、自分に魅力がなくなって、それが回りまわって恋愛が上手くいかなくなる、なんてことにもなるのかな、と思います。

 

たしかに、振られた直後は、もう死にたくなるくらいにつらいです。

 

泣いて泣いて、「もう涙も出ない...なのに泣けるよ...しんどいよ...」と思うくらいつらい。

 

失恋の傷を癒す薬は2つだけです。

 

それは、時間と新しい恋。

 

復縁も新しい恋に入ると、わたしは思います。

 

けれど、その恋に進む前に、一度自分磨きに時間をかけて、明るい自分を取り戻した方が、どちらにせよ上手くいく、というものです。

 

 

【発達障害】無理してキャパオーバーな仕事をしてわかった2つのこと

こんにちは、いまちです。 

今回のテーマは「ほどほどに働く」です。

 

みなさんは、働いていますか?

 

わたしは働いてますが、ほんとーうにほどほどに働いています

 

わたしには発達障害があり、人よりもかなり疲れやすいのと、あまり複雑な仕事をやり続けるとパニックを起こしてしまうので、自分のペースで実にほどほどに働いているんです。

 

 

具体的にいうと、

  • 保育園の非常勤保育士
  • 一日8時間週5日勤務
  • 業務は主に保育と雑務のみで残業ほぼゼロ
  • 昼出勤の遅番担当

 

という条件で働いていますが、この働き方が自分に本当にちょうどよくて、細く長く続けていきたいと思っています。

 

が、そんなわたしも過去に一度、「ばりばり働かなくちゃ!」と思い、ハードな正規保育士の職に就いたことがあります。

 

案の定、3か月で体調を崩して辞めました…。

 

そんな経験を経て今のわたしがあるのですが、その悪夢のような経験から、いくつか学んだこともあります。

 

学んだこと① バリキャリの人と自分を比べちゃいけない

 

わたしは正規保育士になって何がつらかったかというと、本当にいろいろあるのですが、一番は残業と持ち帰り仕事ですね。

 

仕事の時間じゃないのに仕事をしなきゃいけないという精神的重荷、週案だの行事の準備だの、常に先のことを見通して抱え込まなきゃいけないというせわしなさ

 

発達障害のあるわたしは、決められた枠の中で、ある程度ルーティンな仕事を、目の前のことからひとつひとつこなせる環境じゃないとパニックをおこしてしまうので、正規保育士の仕事は本当につらいし、毎日全然気が休まりませんでした。

 

わたしには重荷としか感じられなかった正規保育士の仕事ですが、周りの先生たちはとても楽しそうにこなしているんですよね。

 

そりゃ大変そうですけど、その大変さをも楽しんでいるというか。

 

 「あれも、あれも、あれもやらなきゃ!あー終わんない!」とか言いながら、なんか自分でどんどん仕事を増やして抱え込んだりしているんです。

 

わたしには目からウロコでした。あ、ありえない…。

 

口では大変大変と言ってるけど、この人たちはそれをそこまで苦にしてない…?

 

そう、いわゆるバリキャリな人たちです。保育士の仕事にやりがいを感じ、大変な仕事でも普通にこなしてしまうし、人によってはそれを楽しんですらいる人もいる。

 

もちろんわたしだって、保育士の仕事が好きですし、だから非常勤になったってこの仕事を続けているわけなんですけど、

 

彼女らとわたしが違うのは、

 

パニックになるほどの仕事量を毎日抱え込んで残業・持ち帰りで休日返上なんて状態には、わたしはまったく1ミリもやりがいなんて感じません!

 

これは、もう根本的に感覚が違うんだな、とそのときわたしは気がつきました。

 

この人たちはお金や生活のために働いているわけじゃないんだな、仕事が生きがいなんだろうな、と。

 

少し話がそれますが、以前「コード・ブルー」という救急救命の映画を観に行ったのですが、その映画の中で、休む間もなく働く医者たちの

 

私たち、本当に病院が好きね

 

というセリフが何度も飛び交うんです。

 

これは家に帰る暇もない、という自嘲のセリフでもあるでしょうが、しかし彼らはそのセリフを本心で言っているのだろう、と思えました。あ、もちろん映画なのでセリフには過ぎないのですが。

 

この時もわたしは思ったんです。ああ、仕事が生きがいな人って本当に存在するんだなあと

 

 教育業界とか、医療業界とか、そういう激務な業界ってけっこうそういう人が多いんじゃないかな、と感じます。

 

そのことを知って、わたしは「じゃあもう無理してばりばり働かなきゃって思うのはやめよう…」と思いました。

 

そういう大変な仕事は、申し訳ないけれどそれができる方にお任せしたいです。

 

わたしは、自分にできるペースで自分にできることをやっていけばいい。誰もそれ以上のことをわたしに求めたりしないんだから…。

 

要するに、わたしが「つらい」「義務」と思ってやるしかないようなことを、「面白い」「仕事こそ私の存在価値」と思ってやっているすごい人がいるわけです。

 

そういう人に、わたしに不可能な仕事はお任せします、よろしくお願いします!!!

 

という話です。

 

ちなみに映画「コード・ブルー」の感想はこちら↓に書いています。

 

suikanoasobi.hatenablog.com

 

学んだこと② 人にはキャパシティがあらかじめ決まっている

 

先日、「努力が苦手」という悩みの原因は脳にハンデがあるからだよ!甘えじゃないよ!という話という記事でも記載したのですが、人には仕事などで一度に抱え込めるタスクの量(キャパシティ)が生まれつき決まっている、ということを、わたしは正規保育士の仕事でいやというほど感じました。

 

そのキャパシティを超えて仕事をすると、人はどうなるのか…。

 

壊れます。笑

実際わたしがそうでした。断言できます。

 

パニック状態に陥り、ある日突然布団から出られなくなり、心療内科に駆け込みます。

 

「いやいやそんなの、大変な仕事なんて慣れだよ慣れ!やっているうちに慣れてだんだんキャパも大きくなるんだって!」

 

とかいう人もいるかと思います。

 

なりません。

やっているうちに慣れてできるようになる人は、その人のキャパを最大まで使っていなかったっていうだけです。

 

もとからキャパが小さい人の容量は、大きくはできないんです。大きくできないからキャパなんですよ。

 

それはもう脳の特性ですからね。

 

脳の特性でできないことを「根性が足りん」というような根性論で語る人も世の中にはいます。

 

そういう風潮はオール無視です。わからない奴に何を言ったって無駄です。無視が一番です。

 

わたしは一度キャパオーバーな仕事量を経験してみて、つくづく自分のキャパの小ささを痛感したので、もう今後はほどほどにしか働きません。働けません。

 

でも、そういう経験をして自分のキャパのサイズを知っておいてよかったと思っています。

 

あとになって「もっと頑張っていたら、もしかしたらもっとばりばり働けたかもしれないのに…」なんて無駄に自分を責めたりする心配がありません

 

「わたしは今の仕事量以上の仕事を課せられるとパニックになるから、今の仕事をぼちぼち続けられることが一番」と心の底から本気で思うことができています。

 

まとめ

 

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「生きがい=仕事」という人以外は、ほどほどに働けばいいんじゃない?と、わたしは本気でそう思います。

 

無理して激務に耐える必要性はないです。

 

もちろん、仕事にやりがいをもって働くことは良いことなので、ばりばり働いているキャリアマン&キャリアウーマンの方たちを否定しているわけではありません。

 

ただ、わたしは自分に負荷をかけて成長を促すのが良いとする日本の風潮はあまり好きではないですね…。

努力できない原因は、病気と同じ脳のハンデだよという話

 

こんにちは、いまちです。

 

わたしは努力が苦手です。

どのくらいって、努力し続けなければいけないなら死んだ方がマシと思うくらいです。(真顔)

 

脳内口ぐせは「クッソメンドクセェ...」な、ぐでたまもびっくりの脳みそとろけ人間です。(残念なことにアラサー女子です)

 

じゃあさっさと脳みそボイルドして固めろよって感じですが、当然わたしにとってこのことは長年のコンプレックスで、「自分はどうして努力ができないんだろう?」と、ずっと悩んだり自分を責めたりしてきました。責めてたんですよ、一応。

 

しかし最近、本当にここ半年くらいですが、「努力できないのはしかたのないことだ」と思うようになったんです。

 

そしてそう思えるようになり、わたしは生きていくのがかなり楽になりました。

 

何故そう思えるようになったかというと、自分が努力できないのにはちゃんとした能力的な原因があるのだ、ということに気がついたからです。

 

 

 

 

努力が苦手な原因=脳のハンデ

 

原因。それは生まれつきもっているその人の特性のようなものです。

 

例えば、先天的に耳の不自由な人にCDを聞かせて、「今聴いた曲を耳コピでピアノで弾きなさい」というのは無理がありますよね。

 

耳が聞こえないというのが、その人の生まれつきの特性だからです。

 

それと同じように、脳に先天的に努力し続けることが不可能な特性を持って生まれることがある。

 

そう、それはもう言ってしまえば、耳が聞こえないなどと同じ社会的ハンデなのです...!

 

現在わたしのこのブログには、「努力できない 病気」などのキーワードでたどり着いてくださる方が少なからずいます。

 

そういう方も、本当は努力できない病なんかではなく、実は脳に多かれ少なかれ特性があって、社会的ハンデを負っているのだと思います。

 

努力できずに悩んでいる方に、わたしは今言いたいのです。

 

周りの人は、努力できないことで悩んだりしているように見えるでしょうか?

 

そう見えないとすれば、周りの人とあなたとで能力に差があるということではないでしょうか?

 

能力に差があるなら、努力が苦手な自分を責める必要があるのでしょうか?

 

そもそもそうやって悩んで生きていること自体、十分頑張っているっていうことではありませんか?

  

以下に、わたしがどのような社会的ハンデを感じて生活しているかを述べてみます。

 

ハンデ① キャパが小さい

 

キャパとはキャパシティのことで、日本語に直すと「容量」のことです。

 

ここでいう容量とは、仕事などで一度に抱え込めるタスクの量のことです。

 

例えばわたしは現在、保育園で非常勤保育士として働いているのですが、以前短期間だけ正規の保育士として勤めたことがあります。

 

その際、わたしは自分のキャパの小ささを痛感することになりました。

 

保育士という仕事はいわゆるマルチタスクの業務です。

 

その日のクラスの活動を考えつつ、一週間、一ヶ月先までの予定を把握し、子供たちの体調や家庭の事情なども頭に入れ、さらに行事の準備やお便り作成、季節の制作物のことまで考える...

 

しかも、仕事はシフト制。毎日数時間単位で勤務時間が変わる。

 

わたしはまったくもってついていけず、数ヶ月で体調を崩して辞めました

 

それも、新米のわたしはベテランの先生方に比べてものすごく少ない業務量であったにもかかわらず、明日の予定と行事、自分の毎日のシフトを把握するだけで頭がパンクするような感覚に陥り、大パニックになってしまったのです。

 

慣れればそれらも簡単にこなしていけるようになれたのか...?とときどき考えますが、そうは思えません。

 

今の非常勤保育士の義務は、保育と雑務が中心になるのですが、保育をしているときは子供のことだけ、雑務をしているときはその作業のことだけを考えられます

 

それでもいっぱいいっぱいになり、時折疲れて仕事を休んでしまうことがあるのです。

 

目の前の仕事で精一杯のわたしが、マルチタスクを続けていくことは不可能です。

 

限られた量の仕事だけに集中して取り組めるような仕事にしか適応することができないのです。

 

適応できずに体調を崩してしまえば、やはり辞めるしかないでしょうから。

 

ハンデ② 処理速度が遅い

 

わたしは幼いころから、人一倍何かをするのが遅い人間でした。

 

歩くのも遅ければ、食べるのも、文字を書くのも、頭を働かせるのも、もう一事が万事すべてが遅く、友人からはよく「のろま」だと言われていました…。

 

今でもそれは変わらず、わたしは何事をするにもとても処理が遅いです。

 

わたしは以前にWAIS-Ⅲという知能指数を測定するテストを受けたことがあるのですが、その時の結果でも、処理速度の項目がずば抜けて低かったです。

 

 

 処理速度が遅いと何が不便かというと、日常生活で周りについていけないのです。

 

例えば電話。聞いたことを理解するまでに少し時間がかかってしまうので、相手が言ったことに対して答えるまでにタイムラグができてしまい困ります。

 

相手が早口で話す人だと、一度言われただけでは理解できないことも多く、二度、三度と聞き返してしまうこともしばしば。

 

二度くらいなら許してもらえますが、三度以上聞き返すと「こいつなんなんだ?」と思われてしまうので、そういう時は電波が悪くて聞こえないふりなどしてごまかすこともあります…。

 

また、文字を読んだりするのが遅くて困ることもあります。

 

わたしは脱出ゲームが好きで、友人とよくリアル脱出ゲームをしに行くのですが、問題文を読む速度が遅すぎて、友人をよく待たせてしまい迷惑をかけてしまいます。

 

何人か違う友人と脱出ゲームに行きましたが、今までにわたしよりも文章を読む速度が遅い人はいませんでしたので、必ず相手を待たせてしまうことになるんです…。

 

本当に一事が万事こういう具合なので、世間の強烈な速度で流れていくペースに合わせ続けるのはかなりの労力が必要です。

 

わたしは常にすべてのことにおいて、周りについていくために焦らされているので、周りの人が普通にできているようなことにも、人一倍労力を使うわけです。

 

そうなると、頑張り続けることで疲労も人一倍感じてしまう、というわけなのです。

 

ハンデ③ 興味のある・ないの振れ幅が極端

 

最近自覚したのですが、わたしは興味のあることとないことの差が極端なんです。

 

興味のあること、例えば先ほども例に挙げた脱出ゲームですが、わたしは脱出ゲームならいくらでも時間を忘れて取り組むことができます。

 

一日に何本もの脱出ゲームアプリを数時間もやっていたり、嫌がる友人を連れてリアル脱出ゲームをはしごしたりしても、全然疲れを感じません。

 

好きなこと、興味のあることをする分には、まったく疲労を感じないのです。

 

しかし逆に、それ以外のことには本当に無頓着で、本当に何も興味をもつことができないのです。

 

例えば、わたしは人の話に興味をもつことができません。

 

友人の話を聞いていても、その話に全然興味をもつことができないのです。

 

その証拠に、わたしは特に仲の良い友人2人の仕事や職場のある場所について、全然把握していません

 

何度もその子の仕事の話や職場の場所を聞いているにも関わらず、です。

 

仕事の話を聞いた、という漠然とした記憶だけが残って、話の内容についてはほとんど忘れてしまうんです。

 

ぶっちゃけ、どうでもいい、と思っているんでしょうね…。

 

先日、こんなことがありました。

 

わたしは1年くらい前に職場を移っているのですが、そのことを言っていなかった友人に仕事の話をした時、

 

友人「いまちの職場って、○○(以前の職場のある場所)だよね?」

 

と聞かれたので、

 

わたし「ううん、職場変わったんだよ。それにしても、よくわたしの前の職場の場所なんて覚えてるね」

 

と言ったところ、「覚えてるよ!当たり前じゃん!」と笑われました。

 

わたしが逆の立場だったら絶対に覚えていませんから思わず驚いてしまったのですが、普通一度聞いたら覚えているもんなんですよね…。

 

こんな風に、自分の好きなこと以外はまったく興味をもつことができないので、日常生活も一苦労です。

 

他人の話はいちいち「興味がなくてもちゃんと聞いて記憶する!」と、かなり心して聞いていますから、ちょっとした雑談にもものすごい集中力がいります

 

仕事の話などなら、なおのこと。

 

「処理速度が遅い」の項目でも電話が苦手と言いましたが、電話はちょっとでも気を抜くと、「誰かから大事な電話がかかってきた」という漠然とした記憶だけが残り、本当に大事な要件がすっかり抜けてしまうというとんでもない事態になってしまいます…。

 

実際、仕事ではないですが、昔、母あてに自宅にかかってきた電話に出て、電話を切った後で誰から何の要件でかかってきたのか丸々忘れてしまって、母にこっぴどく怒られた経験があります…。

 

そんなことを仕事でやってしまったら怒られるなんてもんじゃ済みませんから、どんなに興味がなくてもきちんと内容を記憶したり、メモを残したりして対応しなければなりません。

 

日常生活はわたしにとって興味のないことだらけですから、本当に集中力がいり疲れます。

 

 ハンデ④ 報酬系が弱い

 

報酬系とは、心地良いことが起きた時に活性化される脳内のシステムのこと。

 引用元:

http://neurophys11.hatenablog.com/entry/2016/07/01/235010

 

これは検査などしていないので確実ではありませんが、わたしはおそらく報酬系が弱い人間です。

 

報酬系が弱いと、褒められてもそれが快感に感じないのです。

 

ちょっと褒められたくらいでは足りず、ものすごく褒められてようやく「わたしはすごいことをしたんだ」と実感できる、ということです。

 

報酬系が弱いということは、何かを成し遂げた感覚や達成感を感じる力も人より弱く、それにより努力して何かをしよう、頑張ろうと考えることが苦手とする人が多いようです。

 

わたしはゴールの見えないことに関して努力するのがことさら苦手です。

 

例えば就活。保育園の毎日のクラス運営。どちらも過去にパニック状態陥り、わたしが投げ出したものです。

 

情けない話ではありますが、これらのような終わりのないことにやりがいを感じて努力し続けるというのは、わたしには不可能なのでした。

 

まとめ あなたは悪くない。自分を受け入れよう

 

  • キャパが小さい
  • 処理速度が遅い
  • 興味のないことを把握できない
  • ↑3つのせいで物事をやり遂げにくく、その結果まったく達成感を味わえずやる気も出ないという悪循環

 

生きづらいですよね、正直。

 

好きでパニックになるわけでも、仕事を休むわけでもありません。

 

長年、自分はどうして努力できないんだろう、怠け病なんだろう、と思い悩んできました。

 

けれど、冷静に自分を見つめ直して、向き合っていく中で、「自分はこういう特性なんだ、自分はその中で頑張って生きているんだ」と思えるようになり、すごく楽になりました。

 

今、努力できなくて自分を責めている人。

 

責める必要なんてないです。

 

努力するのには能力がいります。努力できるのは才能です。

 

大事なのは、努力のできない自分を受け入れ、そんな自分にできることを、できる方法でやることです。

 

自分を責めてばかりで自信がなくなってしまっている方は、下記の記事もぜひ読んでみてください。

 

 

 

だって、このハンデとはこれからも一生、付き合っていかなくてはいけないんですから。

 

努力そのものが苦手な人は、生きてるだけで人一倍努力しているんです。という話でした。

 

映画「コード・ブルー」感想 ハラハラよりも、何かと考えさせられることの多い作品だった

こんにちは、いまちです。

 

もう封切られてだいぶ経つのですが、映画「劇場版コード・ブルー ドクターヘリ救急救命」を観てきました。

ずっと観たいなあと思っていたので、やっと見られた!って感じです。

 

感想と観て考えたことなど

 

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実はわたしはドラマのコード・ブルーシリーズは、ほとんどちゃんと観たことがありません。完全なるにわかってやつですね。

 

先日映画公開にあたり、ドラマの特別編がやっていたんですけど、それでほぼ初めてまともに観たんです。

 

面白いんですねコード・ブルー。なんで観てなかったんだろう。(Answer:医療モノあんまり観ないから)

 

映画の印象をまず一言で言っちゃうと、「みんないろんな事情を抱えて生きてて大変だなあ」ということをしみじみ思わせてくれる映画でした。

 

まさに、主題歌であるMr.childrenの曲「HANABI」の一説、

 

誰もが皆 問題を抱えている

だけど素敵な明日を願っている

 

 という歌詞を表現したかのような作品でした。主人公の藍沢や他の医師・看護師たち、患者とその家族など、いろんな人がいろんな事情を抱えていて、みんなその中で必死に生きているんだよ、というメッセージを感じました。

 

ただその事情というのが、がんで余命数週間の花嫁とか、児童虐待とか、アルコール依存症とか、脳死とか、ひとつひとつの案件が重すぎて、平穏無事に生きているわたしには全然共感はできなかったので感動とかはしなかったのですが…。

 

映画とはいえ、2時間にそれだけの要素をぶっこんだのもすごい。

 

そしてやっぱりというか、10年間続いてきたドラマの映画化ということもあり、今までのドラマを観てきた人のための作品という感じがけっこう感じられました。一見さんお断りとまではいきませんが、なんとなくやはりそれまでの物語の集大成だったんだなと。

 

わたしはにわかなので、にわかなりの楽しみ方しかできませんでした。それまでのキャラクターたちの歴史を知らず、あんまり彼らに思い入れがないものですから、なんとなくヤマなしオチなしな話だったなあ…という印象は否めませんでした。

 

たぶんドラマを何シーズンもきちんと観てきていれば、「あのキャラクターがここまで成長したんだ…」という感慨をもって観ることができたんじゃないかと思いますが。

 

予告編やCMを観て勝手に、未曽有の大事故が起こって、その患者の治療に全力を尽くすが、また二次災害が起きて…みたいなものを想像していました。

 

しかし実際は、事故や救助を描くハラハラ感というよりかは、それらを通した人間模様が主体で描かれていて、それなりの緊張感はもちろんあるのですが、予想していたような手に汗握る感じはあまりなかったです。

 

主人公たちの別れを描いた今作で、おそらくシリーズは終了するんじゃないか思うのですが、そういう「ああ、藍沢(山P)たちはみんな別々の道に行くのねえ…これでとうとうコード・ブルーも終わっちゃうのかな…」という感慨深さとか、寂しさみたいなものが作品全体にしみ込んでいて、それでどうしてもしっとりとした感触が強く残る映画だったなと思います。

 

ようするに、これは長い長いシリーズの終わりを飾るエピローグなわけで、にわかがハラハラドキドキのエンタメ映画を観ようという気持ちで観るような映画ではなかったんだなぁ…と思いました。

 

それでも十分楽しむことはできたので、印象に残った場面について書いていきたいと思います。

 

ここからはネタバレ多めですのでご注意ください。

 

「この人はこれから先、こうやってわたしを愛してくれるんだ」

 

飛行機事故で怪我を負って、翔北救命センター(主人公・藍沢たちの病院)に運ばれてきた未知という女性。

 

実は末期がん患者で、人生最後の旅行に行こうとした矢先でした。

 

自暴自棄になり、見舞いに来ようとした婚約者の岩田新田真剣佑)を拒んでしまいますが、緋山(戸田恵梨香)に

 

「あなたに残された時間は短いけど、それをどういう過ごし方にするのかは選ぶことができる」

 

と言われたことをきっかけに、じょじょに心を開いていきます。(セリフは正確ではありません。すみません。)

 

そんな未知が、看護師の冴島(比嘉愛未)に岩田との結婚が決まったとき、結婚情報誌「ゼクシィ」を買いに行ったときのことを話すシーンがあるのですが、そこがすごく印象的でした。

 

「普段は買い物なんて全然ついてこない彼が、ゼクシィを買いに行くと言ったら本屋までついてきた。

 

男の人ってああいう結婚情報誌は好きじゃないだろうに、何故だろうと不思議に思って尋ねたら、何て答えたと思う?

 

『だってその本、重いだろう?』って。

 

それでわたしは思った。ああ、この人はこれから先、こうやってわたしを愛してくれるんだって。」

 

 

いないよおおおおおおおおおお!そんな男いないよおおおおおおおおおお!

 

 …すみません。ただのわたしの偏見です。今までのわたしの経験では、そんな言葉をかけてくれるような男には出会ったことがなかったもので…。

 

しかし、未知が余命数週間とか、そういうことが全部すっ飛んでしまうくらいに、そんなことを言える男って現実にどれくらいいるんだろうなあ…としみじみ考えてしまうわたしでありました。

 

これって女から見た理想の男の姿だよね?ということは脚本家は女性か??と思ってHPまで見たけれど脚本家については載っていませんでした。。

 

しかしまあ、こういうまっすぐな愛情を注いでくれるような男の人って、自分もまっすぐ誠実に生きてる女のもとにしか現れないよなあ…

 

わたしみたいなわけあり品のような女じゃあ、そんなまっすぐな人を引き寄せることは不可能なんだろうなあ。そういうことなんだろうなあ。まともな生き方してきてないからなあ。これからもする気ないからなあ。

 

まあ、ゼクシィ買うときだけじゃなくて、普段の買い物の方が付き合ってほしいけどね。

 

ゼクシィは重いかもしれないけど、スーパーで牛乳とか大根とか卵とか買ったときの方が絶対重いからさ、そっちの方が持ってほしいしさ、うん。(こういうことを考えるからまずいけない)

 

でもね、もし実際に結婚するとなると、なんか相手にあんまり期待をし過ぎない方が良いんですよね。

 

期待は女の敵だと思ってますから、わたしは。

 

こういう人が理想、みたいな価値観で相手を判断するんじゃなくて、二人で理想の夫婦になっていく過程を楽しめるような人と結婚するのが本当の意味での理想なんじゃないかなーと最近思うんですよ。まあ恋人なんていないんですけどね。

 

それと、あんまり相手に自分のネガティブな秘密をほいほい話すもんでもないなとも思います。

 

誠意をもって相手と接すれば、なんて言いますが、誠意が愛情で返ってきた試しがありませんから。

 

具体的にいえばうつ病なんですけど。

 

うつ病歴がある女とはやっぱり付き合いたくないですもんね。わかりますわかります。

 

わたしだって自分がうつ病歴なかったら、うつ病の男の人は嫌だと思ったと思いますよ。

 

だから、本当に本気で幸せになりたいなら、自分のネガティブな秘密は話すべきではないんです。

 

わたしはもう二度と男の人にうつ病のことを話さないと思います。

 

(2020年7月追記:今お付き合いしている人には、病気のことも全て話しました。受け入れてくれる優しい人です。いるんですね世の中には。)

 

ね、こういうひねくれた思想の持ち主なので、「ゼクシィ重いだろ?」なんて言ってくれる男、もとい牛乳と大根と卵の入っている袋を持つためにスーパーについてきてくれる男なんてたぶん一生つかまりません。はあ~あ。

 

 「わたしは逃げるのが怖かったんだ」

 

今回、母親がアルコール依存症の看護師・雪村や、虐待を受け父親から逃げた過去をもつ青年など、親のせいで人生がゆがんでしまった人物が多く登場したのが印象的でした。

 

いわゆる毒親っていうやつです。

 

わたしの父は毒親ではありませんが、わたしの人生に負の意味で大きな影響をもたらしてきたとわたしは思っています。

 

父の言葉にわたしは縛られ、逃げ出せずにいました。

 

うつ病になったのも、父の影響があると思っています。

 

そのことに気がついたのはうつ病にかかってからで、それ以来、わたしは父の言葉を「呪い」だと思っています。

 

今も同じ家に住んでいますが、心にバリアを張って暮らしています。父もうすうすそれに気づいてか、最近はあまりわたしに干渉してこなくなってくれて、比較的今は快適に過ごせています。

 

しかし、父から離れるために実家を出たいなあ、と最近頓に思うようになりました。

 

家を出たい、と思うようになったのは、けれどかなり最近になってのことです。

 

今までは、漠然といつか家を出なければ、とは思ってはいたものの、やれ収入が少ないだの(本当に少なかったのですが)、病気が再発する可能性があるかもしれないだのと、家を出ることをまったく具体的には考えていませんでした。

 

コード・ブルーの話に戻ります。

 

アルコール依存症の母をもつ看護師・雪村双葉が、物語終盤で姉の若葉と話すシーン。

 

若葉は母と共に暮らしているのですが、双葉に対して母親から逃げ出してずるいという思いを抱いていました。

 

しかし、最後に若葉は双葉に、「わたしは逃げるのが怖かったのだ」と言います。

 

この若葉の気持ち、すごいよくわかるんです。

 

今回の映画で唯一共感できた部分かもしれません。

 

親のせいで自分の人生がゆがんでいるのはわかっていて、逃げ出さなきゃいけない、そうしなければ自分も潰れるとわかっているのに、そうするのが怖い

 

何故なんだろう、と思います。親が毒なら、呪いなら、早く離れればいいのに、何故かそれが怖くてできない。

 

ふたつ、理由があると思います。

 

一つは、ひとりになるのが怖いから。

 

もう一つは、自分に自信がないから。

 

けれど最近、本当にごく最近、家を出なければ!という思いがとても強くなっています。

 

もちろん、怖さがなくなったわけではありません。ひとりは寂しいかもしれないし、暮らしが上手くいかないのを親のせいにすることもできないでしょう。

 

それでも、これからの自分のためには独り立ちしなければ、と思います。

 

そう思えるようになった自分がとても不思議で、変な感じです。特にうれしいとかはありませんが、成長したのかもな、と思っています。

 

 (2020年7月追記:一人暮らしを始めました。距離を置くことで、父との関係も少しずつ良い方へ変わってきています。)

 

 まとめ

コード・ブルーの感想といいつつ、なんかわたし自身の話が多くなってしまう部分がありましたが、作品を観ることでいろいろと考えさせられることがあったのが事実です。

 

作品自体の思い入れが薄いので、自分に照らし合わせて楽しむみたいな観方になってしまったのですが、それはそれでありなのかな、とも思う今日この頃でありました。

 

無気力系ブロガーの怠け人生と苦悩を綴るね

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こんにちは。いまちあかりです。

 

ここでは、わたしの子供時代から今に至るまでの略歴を綴りたいと思います。

 

超ざっくりいうと、生まれつき無気力な子供で、努力が苦手で逃げまくって、自尊心ゼロのまま大人になったら就活できずにうつ病になって、悩みまくった挙句に発達障害が判明して、今は非常勤保育士をしているよ。って感じ。

 

説明雑なのに内容濃いな!

 

 

子供時代

保育園時代はちょっと不思議ちゃんだった

 

幼少期、わたしは保育園に通っていました。

 

そのころはちょっと不思議な子供だったようで、へんてこなエピソードも多数。

 

たとえばあるとき、先生がなかなか教室に戻ってこないわたしを探すと、わたしは園庭のすみで一人遊んでいたそうです。

 

先生が「あかりちゃん、こんなところで一人で何してたの?」と聞くと、

 

妖精さんと遊んでたのー!

 

と答えたそうです。自分ではまっっったく覚えていませんが…

 

そしてまたあるとき、祖父母の家で、祖父と二人でかくれんぼをしていたときのこと。

 

わたしがまだ隠れていないのに祖父が探しに来てしまって、それが嫌で泣いたらしいのですが…

 

まきもどし!まきもどしィィィィィ!!!

 

と、テレビのリモコンを指さし、半狂乱になって泣いて訴えたそうです。汗

 

やり直しをしたかったのだろうか…
リモコンの巻き戻しボタンを押せば、時間が巻き戻ると思ったのかもしれない。

テレビと現実の区別がついていないヤバいガキだったのか

 …もう少し言葉選ばん?

 

あとは保育園の連絡帳にも、年がら年中「あかりちゃんは今日もマイペースに…」と書かれるくらい、やることなすこと常にゆっくりな子供だったようです。

 

保育士になった今思うんですけど、周りのペースにまったくついていけない、良く言えば自分ワールド全開、悪く言えばめちゃどんくさい子供って、保育園にはたま~に、でも必ずいるんですよね。

 

自分はそれだったのか…と。

 

まあこんな風に、幼児期は少し変わっていて、マイペースな(どんくさい)子供だったわけですが、子供のころはちょっとくらい周りと違ってもだいたい「個性」として片付けられてしまいますからね。

 

のちのちあんなに苦しむことになるとは、つゆほども知らないのんびりあかりちゃんでした。

 

 目立たない普通の女の子

 

小学校に上がったわたしは、どこのクラスにも必ずいる、大人しくて勉強もそこそこできる目立たない女子でした。

 

落ち着いて授業も受けられるし、勉強もそれなりに(中の上くらい?)できてしまう。

 

 だから、誰にも特に注目されるようなことのない普通〜の子どもでした。

 

 誰にも迷惑なんてかけることもなく、だから特別目をかけてもらった記憶もない。

 

とにかく目立たない女子。

 

しかし。

 

はちゃめちゃだらしない人間だった

 

だ〜れも気づいていなかったし、自分でも自覚がなかったのですが、わたしは子供の頃からほんとーーーうにだらしのない人間でした。

 

忘れ物が多い、片付けられない、鞄の中もいつもごちゃごちゃ、遅刻癖が直らない、人の話をすぐ忘れる、物事に集中できない、提出物が出せない、周りよりいつもワンテンポ遅い...etc。

 

そう、いくらでも挙げられるのです...自分のだらしないところなら!

 

勉強はできる方でした。

なのに、生活態度がとにかくだらしなく、できないことだらけ。

 

 特に、努力をすることが苦手で、勉強も本当は基本的に嫌い。最&悪ですね。

 

それでも、どうしたらいかに少ない時間だけ勉強すれば効率よく覚えられるかを考えてから勉強していたので、あまり勉強時間をかけずにテストで点だけはとれていました。

 

 だから、成績は優秀で、誰もだらしなさに気がつかない。

 

でも、夏休みの宿題は最終週に焦ってやるし(なんでもめんどくさくて後回しにしてしまうため)

 

算数ドリルや漢字ドリルなどの、ドリル系の勉強が大嫌いだし(単純な作業の繰り返し嫌い)

 

自分の嫌いな分野のことを努力するというのがものすごく苦手な子どもでした。

 

そして、テスト前でもろくに勉強しないで「早くテスト期間終わらないかなー...」と思っていた中学時代。

 

 遅刻60回を超えてクラスの女子で遅刻率トップ!と担任に笑われた高校3年生の後期。

 

それでも、テストの点さえ取れればなんとかなってしまうのが学生時代。

 

よく点は取れたなって思います(真顔)

 

必要最低限のことだけやってれば、嫌いなことは逃げても良い。

 

意識はしなくても、本能的にそう思っていたのだと思います。

 今思えば、逃げてばかりの子ども時代でした。

 

勉強から逃げ、部活や委員会で面倒な立場になることも避け、好きなことだけやって。

 

 周りから「ボランティアとか、なんか身になることとかやってみたら?」と言われても、嫌がって何もしませんでした。

 

だってめんどくさかったから

 

面倒くさいことにあえて挑戦するとか、そういう選択肢は存在しなかったんだな。

 それができれば苦労はしてませんよ(遠い目)

 

でも、中学に行って、テスト勉強とかボランティア活動とかから逃げまくるようになって、初めて「わたしって逃げてばっかりだな...」と気づいた超鈍感人間でもあります...。

 

さらに。

 

親に「将来何になりたいか決めろ」と半ば脅される幼少期だった

 

我が家は父が絶対的存在でした。

 

典型的な亭主関白。さだまさしもびっくりの絶対権力でした。

 

(ちなみに関白宣言、聴いたことあります?
あれ、関白失脚っていう続きの曲があるんですよw)

 

子供の頃は、父が怖かった怖かった。

 

今考えると非常にばかばかしいのですが、友達とカラオケに行くだけにしても「あの〜、明日友達とカラオケに行ってもいいでしょうか...?」と聞いていました。許可制。

 

「ダメだ」って言われたら行けません。実際何度も許可が下りなくて、友達の誘いを断ってました。

 

過去のわたしに「いや、無視して行けよ、友達大事にしろ」と言いたい...。

 

そんな絶対神である我が父から、幼い頃から呪文のように聞かされてきた言葉が、

 

「将来何になりたいか早く決めろ」

 

でした。

 

いやいや、そんな決めろって言われたからって簡単に決められるわけないじゃないですか。子供だし。小学校低学年とかからずっとですよ?

 

しかも父が言っている「何になりたいか」は、「アイドルになりたい♡」とか「ピアニストになりたい♪」みたいな子供らしい夢のあるやつじゃなくて、ガッチガチのガチのやつ

 

父いわく、「自分の得意なことから逆算して考えれば、何になりたいか決まるはずだ」と。子供に何教えてんだ。

 

しかし、そんな父の呪文のような刷り込みに見事にとらわれ、

 

「早く何になりたいか決めなきゃ...!得意なこと見つけなきゃ...!じゃないとまともな人間になれない...!」

 

という、幼い子供にとって恐怖以外の何者でもない思想を植え付けられたのでした。

 

だがしかし!成績こそ中の上くらいなものの、何もかもすべてから逃げてばかりのわたしに、一体何の取り柄があったというでしょうか、いや何もない。

 

少なくとも、自分では自分の良いところなんてわかっていませんでした。

 

自尊心が育っていなかったんですね...。

 

父は「何になりたいか決めろ」と言っても、わたしの良いところを褒めてくれるような人ではありませんでした。

 

母もいわゆるバリキャリな女性だったので、仕事と家事が忙しく、わたしに構っている暇はあまりない人でした。

 

もちろんすべてを親のせいにするわけではありません。

 

ただ、保育士(一応)をやっている今にして思うのですが、親ってやっぱり子供にとって非常に人生を左右する大きな存在です。

 

わたしにとって、父の言葉は呪いでした。

 

そして、逃げてばかりの自分の、得意なことや良さなんて、何も見つけられなかった。

 

いえ、ありました。一つだけ、わたしは英語が好きで、英語の成績が中学校時代にすごく良くて、「英語の勉強がしたい!」と本気で思ったことがありました。

 

そんなわたしに父は言いました。

 

これからの時代、英語だけできてもダメだ。英語を専門に学んだって意味がない
それよりも、プログラミングを勉強しなさい。プログラミングと英語をダブルスクールで勉強するなら、英語の学校に行かせてやってもいい。

 

頭が真っ白になりました。

 

わたしはプログラミングなんて、かけらも興味がなかった。

 

結局、父はわたしに、父がいいと思った勉強をさせ、父がいいと思った仕事に就かせたいだけだったのでした。

 

これはあとから知ったのですが、母いわく、父は昔から「子供の将来は親がレールを敷いてやらなきゃ」と常々言っていたそうです。

 

わたしはプログラミングなんて勉強したくありませんでした。

 

根っからの逃げ体質ですから、当然父のその提案からも逃げましたが、わたしは同時に英語を学ぶ機会からも逃げてしまいました。

 

これもあとからわかりましたが、英語を話せるだけで、就活にはかなり有利、というか中小企業なら引く手あまただったんですね。

 

父の言葉を信じた自分がばかでした。

 

いよいよ途方に暮れたわたしは、母の「あんた昔から小さい子と遊ぶの好きよね?保育士にでもなれば?」という言葉に、わらをもつかむ気持ちで保育の大学に入りました。

 

大学・就活

 大学時代

 

大学に入っても、逃げまくる生活は変わりませんでした。

 

授業も、サークルに入るのも、ボランティア活動も、全部めんどくさいし嫌だった。

 

大学に入って保育士の勉強をしてみて、そこで初めて、「わたし全然保育に興味ないじゃん...」とわかりました。ばかですね。

 

でも、どのみち他に何もありませんでしたから。

 

気がついたら大学入試で、「何になりたいか早く決めろ」って追い立てられて、何も見つからないのに無理矢理決めましたからね。

 

授業は寝まくってましたね。よく単位取れたな〜っていう授業もたくさんあります。

 

本当、大学行った意味、何もないです。

 

金の無駄だろー!って、自分で自分の脳天かち割りたい。

 

そして、アルバイトも続きませんでした。

 

 スーパーとコンビニではなんとか半年ずつ働けましたが、塾講師のアルバイトにいたっては2週間で辞めました

 

 授業の前に毎回テキストを確認したり、必要なプリントをコピーしたり...という作業が嫌になった。というか、それだけでキャパオーバーになってしまって、 教えるなんてとんでもなかった。

 

授業にバイトに将来に、逃げてばかりの学生時代。

 

 これでいいなんて、思っていたわけがありませんでした。

 

「自分はなんてダメ人間なんだろう。どうして努力できないんだろう。なんで何でも投げ出してしまうんだろう」

 

 気がつくと、ずっと、ずーっとそう考えるようになっていました。

 

社会に出ることからは逃れられない

 

 就活。地獄でした。

 

 面接ができない。

 

 いろんなことから逃げ過ぎて、アピールすることがない。

 

 終わりの見えない就活というものに耐えられない。

 

でも、今まで嫌なことからはすべて逃げてきたのに、逃げることが可能だったのに、就活だけは、逃げられないと思いました。

 

だって、わたしは「何になりたいか決めなきゃ」ならなかったから。

 

何にもなりたくないなんて、許されないと思ったから。

 

何もしたくなくたって、時間がくれば大人になるし、大学からは追い出されて、社会に放り出される。

 

社会に出ることからは逃れられない。

 

わたしは追い詰められました。

 

この頃は人生で一番苦しくて、毎晩朝になるな、このままずっと夜のままであってくれと思っていました。

 

そしてある日、ぷっと糸が切れたように、

 

「もう無理だ。人生から逃げよう」

 

と思いました。

 

どのみち、就活はほとんど放棄していました。

 

父に呆れられていると感じていたわたしは、家にも居場所がないと思っていました。

 

就活からも逃げ、家族からも逃げるには、もはや死ぬしかないと思いました。

 

そして家にあった薬を大量に飲み、自殺を図りました。

 

帰宅した母と、母から連絡をもらって帰ってきた父によって、病院に救急搬送。

 

命はとりとめましたが、薬の過剰摂取のせいで2〜3日は体が思うように動かせず、人生初の車椅子生活を送りました。

 

そのまま、うつ病と診断されて入院。

 

 就活もそこで強制終了させましたから、どこにも決まらないまま、卒業を迎えました。

 

 その後、当時アルバイト先で行っていた保育園に、そのまま非常勤保育士として働かせてもらえることになり、退院後に働き始め、今に至ります。

 

壮絶というか、馬鹿というか…。
結局、保育士にはなりたくてなったわけじゃないのか?

もともとはね。
でも、仕事をしていく中で、子供と関わる楽しさに気付いたし、やりがいのある仕事で今はすごく好きだよ!

 

「怠け病」には名前があった?

発達障害との出会い

 

さて、親の呪いと、努力が苦手なことに翻弄されて苦しみ続けた人生ですが、自分が発達障害をもっているのではないかと思い始めたのは社会に出て4年ほど経ってからのこと。

 

うつを発症し、自殺も試み、生きるために頑張ることができない、むしろ頑張らなきゃならないくらいなら死のうと思うくらい酷い自分の無気力さ

 

ずっと自分の性格のせいだと思ってきましたが、いつからか「何か原因があるのでは?もしかしたら、脳の病気か何かなのでは?」と考え始めました。

 

一応保育の道に入った人間なので、子供の障害や病気などについて、一通りは大学で勉強してはいました。

 

(講義、かなり寝てたけどな...)

 

 それでも、自分が発達障害ではという考えにはなかなか至りませんでした。

 

「怠け癖 病気」や「努力できない病」なんていうワードを検索ボックスに入れては調べまくる日々...

 

 そうしていろいろなページを見ていく中で、だんだんと発達障害の存在が浮かび上がってきたんです。

 

努力できない脳をもつ障害、ADHDの不注意優勢型

 

特に驚いたのが、発達障害の中でもADHD不注意優勢型という障害。

 

ADHD〔Attention Deficit Hyperactivity Disorder:注意欠如・多動症(注意欠陥/多動性障害、注意欠陥・多動症とも呼ばれます)〕は発達障害の1つで、「不注意」「多動性」「衝動性」といった症状が特徴としてみられます。

引用元:https://adhd.co.jp/otona/about_adhd/

 

 正直、ADHDって、多動っていうイメージが強くて、私みたいに昔からおとなしいようなタイプはまったく当てはまらないと思っていました。

 

でも実際には、ADHDにはいろんなタイプがあって、多動(じっとしているのが苦手)、不注意(集中力・注意力が弱い)、衝動(何かしたいと思うと我慢できない性質)という3つの症状が人により様々なバランスで現れるのだと知りました。

 

それからADHD の方の体験談を読むと...

 

「これ、私じゃん...」

 

今までの自分に気持ち悪いくらいに重なりました。

 

目から鱗

 

そして、私の一番の悩みの怠け癖

 これも、ADHDの脳機能障害による症状の可能性があるとわかったのです!

 

 目から鱗どころか、魚が飛び出たかと思いましたよ。

 

自分が発達障害なのか、ADHDなのか どうか知りたい…!

 

心からそう思ったわたしは、自分が発達障害なのかどうかはっきり確かめるため、検査を受けることにしたのでした。

 

発達障害の検査、WAIS‐Ⅲを受けた

 

 うつ病にかかって以来、わたしは心療内科のクリニックにかかっていたのですが(今はもう行ってません)、運良くそのクリニックが発達障害を診断するためのWAIS‐Ⅲという検査を実施しているクリニックだということがわかり、さっそく検査を受診。

 

すると…。

 

うっひょほ~!
くっきり出たな~!

 

というくらいにはっきりと、発達障害の傾向が現れたのです。

 

さらに細かく見ていくと、自分は手を動かす作業や、目で見たものを理解することが苦手で、人より時間がかかる傾向にあるということまでわかりました。

 

「マイペース」と言われてきたのはこれが原因なんだな。

 

さらに、場の空気を読む力が弱く、対人関係を築くのが困難である可能性が高いということまでわかったんです。

 

対人関係が下手だから、新しい環境に入っていくのがつらかったんだよね。
だから、いろんなことから逃げてしまっていたって考えられる。

 

こうしてWAIS‐Ⅲを受けることで、発達障害がわかり、自分のトリセツを手に入れたことは、ものすごくこれからの人生を生きていきやすくなったと思っています。

 

 

 まとめ

 

長くなってしまったので、そろそろまとめます笑

 

逃げてばかりの自分と、親からの呪いに翻弄されてきた子供時代でしたが、発達障害がわかり、非常勤保育士として平穏無事に働き過ごすことができているので、今はかなり楽しく生きています。

 

結果的に、保育士の仕事は楽しいので、自分に合っていたのかも、とも思っています。

 

今後は、保育士の仕事を細く長く続けつつ、このブログを通じて発達障害うつ病、その他趣味(脱出ゲームとか旅行とか)や日頃あたまの中で考えているいまち流プチ哲学(笑)なんかを、なんとか逃げずにちまちま書いていけたらな、と思っています。

 

いまちあかりと「いまち月のハコニワ」をどうぞ末永くよろしくお願いします!

(無理やりまとめたな)

【人と比べない】世間的に見たらたいした大変さじゃなくても、自分がしんどいと思うならそれは限界なんだから、ちゃんと休むべき。

どうもこんにちは。いまちです。

 

仕事を休んでしまいました。

 

朝起きると、「ああ今日は何もしたくないわ…もはや人と話すらできないわ…」という負の気持ちが自分を膜のように包んで、起き上がることもできなくなることがあります。

 

今日がまさにそれ。

 

そんなとき、わたしはとりあえず仕事を休んでゴミのように過ごすことにしています。

 

「食事もトイレもめんどいわー。というかむしろ微動だにしたくないわー。でも無断欠勤したらクビだしとりあえず職場に電話だけしとこ…」

 

という感じで一本の電話だけ入れて、あとはゴミ人間。

 

体の不調を無視して心まで蝕んでしまってうつ病などになる前に、ちゃんと自分をケアしないとだめです。

 

わたしはうつ病経験者なので、再発予防のため、もう自分に一ミリの負荷もかけないようにしています。(すでに一度再発したことがあるのでなおのこと)

 

負荷をかけないと自分の成長につながらないぞ!という意見はわたしはもうガン無視です。根っからの打たれ弱い体質なので、成長する前に即死んじゃいます。

 

死ぬくらいなら、わたしは自分を甘やかします。

 

わたしはキャパが小さいので、自分で小さいとわかっているので、

 

「ああーわたし今…世の中的に見たら全然頑張ってるうちに入らないんだろうけど、わたしの中じゃあわたしオブザイヤーってくらい頑張ってるわー、偉いわーわたし…」

 

とか日常的に思って自分を心の中で褒めるようにしています。

 

というか、日常的に何かとすぐ自分にご褒美を与えたりしてます。そうしないと、生きていけない人間なのでたぶん。

 

キャパの大きさなんて人それぞれですから、外野なんてオール無視です。わたしはわたしですから、世間一般からして全然努力してないと思っても、本人がしんどいと感じるなら、それは頑張ってるってことなんですよ、うん。

 

人と比べちゃだめです。人は人、自分は自分です。

 

わたしは今でこそ、そうやって自分を許すことができるようになりましたが、そうなるまでには実に26年ほどかかりました。わたしは現在(執筆時)26歳なので、そう思えるようになったのは本当につい最近なんです。

 

わたしは長年、自分は努力の絶対量が足りないと思っていて、(今でも足りないとは思っていますが)ずっと自分を責めていました。

 

なんでもっと頑張れないんだ、とか、だれだれはもっとずっと頑張ってるのに、とか。

 

けれど、最近になって、それはもう致し方ないことなんだなと思うようになりました。

 

努力できるのも才能、という言葉がありますが、その反対に、努力が絶対的に苦手な人間もいるのだろうと思えてきたからです。

 

これは言い訳とか逃げとかいうつもりではなくて、そういう人が世の中にはある一定数以上いるのではないか、そして、そういう人はわたしと同じように、自分が努力できないことで苦しんで生きてきているのではないかと思うのです。

 

だから、これはある種の病気だとか、あるいは障害の一種のようなもので、一生付き合いながら生きていく必要のあるものなんじゃないかと。

 

わたしは努力することに人一倍苦痛を感じる体質で、何かを頑張る、踏ん張る、みたいなことにものすごいエネルギーを要するけど、

 

何とかしてそれでもお金を稼いで生きていかなくてはならないのだから、適度に休んだり、自分を労わりながら、なんとか自衛して生きていかなくてはいけない。

 

だから、しんどいときには休みを取ることは悪いことじゃない、と思って素直に休ませてもらっているのです。

 

鬼灯「うちはうち!よそはよそ!!」

ほら、鬼灯先生もこう言っていることだし…

 

では、そうしてありがたく休みを頂戴した日にはどんな過ごし方をするのか。

 

わたしは先ほど述べた通り、そういう日はもうゴミ人間と化します。この世の役に立つ存在であることを完全に放棄するんです。

 

 

休息日の過ごし方その1 とりあえず寝まくる

 

 

朝とか、本当に無気力すぎてまばたきするのもだるいくらいです。

 

なので、ふとんの中から職場に電話で休む旨を伝えて、とりあえず二度寝。朝ごはんすら食べません。

 

そのまま自然に目が覚めるところまで寝ます。たいていはお昼過ぎまで寝られます。

 

そんなに寝て大丈夫か!?寝すぎてバカになりそう…と感じるくらいまで寝ると、ようやっと少し動く気力が出てきます。

 

これは、うつ病で入院していたときもそうだったのですが、気分の落ち込みがひどいときはひたすら寝ることをとにかく医者に推奨されるんですね。

 

寝ているあいだって、余計なことを考えなくなるんですよね、当たり前ですけど。

 

その余計なことを何も考えない時間が、メンタルがやられているときにはすごく必要で、回復につながるんです。

 

だからまずは寝て寝まくって、「何かしたい」と思えるくらいまで余力が出てくるまで回復させます。

 

休息日の過ごし方その2 全く身にならないことに没頭する

 

休息日の目的はリフレッシュですから、ただただ楽しい・面白いだけで、全くためにはならないことをやりまくります。

 

完全にリラックスして、自分を甘やかしまくってあげるのです。

 

なんの罪悪感も必要ありません。遊びまくります。そのために休んだんですから。これ、すごく大事なことですけど、眠るだけが休息ではないのです。

 

漫画を読む

 

 

わたしは無気力になったときに読む用の漫画を部屋に常備しています。

 

個人的に好きなのは、現実離れしていて読むと現実逃避できる漫画や、

 

主人公がぐうたらなので気負わずに読める漫画です。

 

ちなみにわたしの今もっともお気に入りの漫画は、『働かないふたり』という漫画。 

 

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ニートな兄妹がだらだらしまくるギャグマンガです。

 

わたしはニートではないですが、読むと心が慰められます

 

youtubeを観る

 

 

youtubeが大好きです。

 

Wi-Fi環境であればタダでいくらでも面白いコンテンツが観られますし、

 

面白企画・しょうもない企画で楽しませてくれるyoutuberの方々がたくさんいらっしゃって、観たいものが尽きません。

 

ただ、本当に死にたいほどに心が沈み切ってるときは、笑う気力すらないので、あまりyoutubeは観ないのですが。

 

しかし、死ぬほどばかばかしいものを観まくって怠惰な時間をむさぼりたい!って気分のときもあり、そういうときはテレビの何倍もyoutubeの方が優秀だよなあ…と思います。

 

ゲームをする 

 

 

ゲームもとても良いです。

 

ひたすら無心になれたり、目の前のパズルや問題を解くためだけに頭を使えるので、余計なことを考えずに済みます

 

個人的にハマっているのは、脱出ゲーム

 

スマホのアプリなどで無料で楽しめるものがたくさんあるので、新作を探して遊びまくります。

 

休息日の過ごし方その3 体が喜ぶものを与えつくす

 

 

たくさん寝てあたますっきり、遊びまくって心も充実したら、仕上げは体のケア

 

体が嬉しい、心地よいと感じるものを与えてあげます。

 

具体的には、セルフマッサージと甘いもの

 

足の裏なんかは、自分で揉んでも十分気持ちいいです。逆に、強さや場所が適宜調節できていい。

 

ストレッチやヨガも好きです。ヨガスマホアプリに専用のものが出ていたりするので、それを使ってやると楽ちん。

 

そして、究極の自分ケア、スイーツ。

 

動いていないので食べすぎには気をつけつつ、大好きなチョコレートを食べる時間は至福のひとときです。

 

 

まとめ

 

ツバクロ「みんな働き過ぎなんだよ」

 

って感じにゆるゆる過ごしているうちに、「ああ遊んだ!休んだ!よし、明日は出勤!」って気持ちになっていくことがほとんどです。(そうでない日もあります)

 

なにはともあれ、精神的、身体的につらい時は、とにかく休むことがもっとも大事だと思ってます。

 

働き過ぎでまた精神病んで動けなくなるよりは、わたしは素直に休むことを選びます。そうやって一進一退、すこーしずつ進んでいく人生で十分ですから!