いまち月のハコニワ

発達障害&卵巣嚢腫と生きるアラサーガールブログ

映画「コード・ブルー」感想 ハラハラよりも、何かと考えさせられることの多い作品だった

こんにちは、いまちです。

 

もう封切られてだいぶ経つのですが、映画「劇場版コード・ブルー ドクターヘリ救急救命」を観てきました。

ずっと観たいなあと思っていたので、やっと見られた!って感じです。

 

感想と観て考えたことなど

 

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実はわたしはドラマのコード・ブルーシリーズは、ほとんどちゃんと観たことがありません。完全なるにわかってやつですね。

 

先日映画公開にあたり、ドラマの特別編がやっていたんですけど、それでほぼ初めてまともに観たんです。

 

面白いんですねコード・ブルー。なんで観てなかったんだろう。(Answer:医療モノあんまり観ないから)

 

映画の印象をまず一言で言っちゃうと、「みんないろんな事情を抱えて生きてて大変だなあ」ということをしみじみ思わせてくれる映画でした。

 

まさに、主題歌であるMr.childrenの曲「HANABI」の一説、

 

誰もが皆 問題を抱えている

だけど素敵な明日を願っている

 

 という歌詞を表現したかのような作品でした。主人公の藍沢や他の医師・看護師たち、患者とその家族など、いろんな人がいろんな事情を抱えていて、みんなその中で必死に生きているんだよ、というメッセージを感じました。

 

ただその事情というのが、がんで余命数週間の花嫁とか、児童虐待とか、アルコール依存症とか、脳死とか、ひとつひとつの案件が重すぎて、平穏無事に生きているわたしには全然共感はできなかったので感動とかはしなかったのですが…。

 

映画とはいえ、2時間にそれだけの要素をぶっこんだのもすごい。

 

そしてやっぱりというか、10年間続いてきたドラマの映画化ということもあり、今までのドラマを観てきた人のための作品という感じがけっこう感じられました。一見さんお断りとまではいきませんが、なんとなくやはりそれまでの物語の集大成だったんだなと。

 

わたしはにわかなので、にわかなりの楽しみ方しかできませんでした。それまでのキャラクターたちの歴史を知らず、あんまり彼らに思い入れがないものですから、なんとなくヤマなしオチなしな話だったなあ…という印象は否めませんでした。

 

たぶんドラマを何シーズンもきちんと観てきていれば、「あのキャラクターがここまで成長したんだ…」という感慨をもって観ることができたんじゃないかと思いますが。

 

予告編やCMを観て勝手に、未曽有の大事故が起こって、その患者の治療に全力を尽くすが、また二次災害が起きて…みたいなものを想像していました。

 

しかし実際は、事故や救助を描くハラハラ感というよりかは、それらを通した人間模様が主体で描かれていて、それなりの緊張感はもちろんあるのですが、予想していたような手に汗握る感じはあまりなかったです。

 

主人公たちの別れを描いた今作で、おそらくシリーズは終了するんじゃないか思うのですが、そういう「ああ、藍沢(山P)たちはみんな別々の道に行くのねえ…これでとうとうコード・ブルーも終わっちゃうのかな…」という感慨深さとか、寂しさみたいなものが作品全体にしみ込んでいて、それでどうしてもしっとりとした感触が強く残る映画だったなと思います。

 

ようするに、これは長い長いシリーズの終わりを飾るエピローグなわけで、にわかがハラハラドキドキのエンタメ映画を観ようという気持ちで観るような映画ではなかったんだなぁ…と思いました。

 

それでも十分楽しむことはできたので、印象に残った場面について書いていきたいと思います。

 

ここからはネタバレ多めですのでご注意ください。

 

「この人はこれから先、こうやってわたしを愛してくれるんだ」

 

飛行機事故で怪我を負って、翔北救命センター(主人公・藍沢たちの病院)に運ばれてきた未知という女性。

 

実は末期がん患者で、人生最後の旅行に行こうとした矢先でした。

 

自暴自棄になり、見舞いに来ようとした婚約者の岩田新田真剣佑)を拒んでしまいますが、緋山(戸田恵梨香)に

 

「あなたに残された時間は短いけど、それをどういう過ごし方にするのかは選ぶことができる」

 

と言われたことをきっかけに、じょじょに心を開いていきます。(セリフは正確ではありません。すみません。)

 

そんな未知が、看護師の冴島(比嘉愛未)に岩田との結婚が決まったとき、結婚情報誌「ゼクシィ」を買いに行ったときのことを話すシーンがあるのですが、そこがすごく印象的でした。

 

「普段は買い物なんて全然ついてこない彼が、ゼクシィを買いに行くと言ったら本屋までついてきた。

 

男の人ってああいう結婚情報誌は好きじゃないだろうに、何故だろうと不思議に思って尋ねたら、何て答えたと思う?

 

『だってその本、重いだろう?』って。

 

それでわたしは思った。ああ、この人はこれから先、こうやってわたしを愛してくれるんだって。」

 

 

いないよおおおおおおおおおお!そんな男いないよおおおおおおおおおお!

 

 …すみません。ただのわたしの偏見です。今までのわたしの経験では、そんな言葉をかけてくれるような男には出会ったことがなかったもので…。

 

しかし、未知が余命数週間とか、そういうことが全部すっ飛んでしまうくらいに、そんなことを言える男って現実にどれくらいいるんだろうなあ…としみじみ考えてしまうわたしでありました。

 

これって女から見た理想の男の姿だよね?ということは脚本家は女性か??と思ってHPまで見たけれど脚本家については載っていませんでした。。

 

しかしまあ、こういうまっすぐな愛情を注いでくれるような男の人って、自分もまっすぐ誠実に生きてる女のもとにしか現れないよなあ…

 

わたしみたいなわけあり品のような女じゃあ、そんなまっすぐな人を引き寄せることは不可能なんだろうなあ。そういうことなんだろうなあ。まともな生き方してきてないからなあ。これからもする気ないからなあ。

 

まあ、ゼクシィ買うときだけじゃなくて、普段の買い物の方が付き合ってほしいけどね。

 

ゼクシィは重いかもしれないけど、スーパーで牛乳とか大根とか卵とか買ったときの方が絶対重いからさ、そっちの方が持ってほしいしさ、うん。(こういうことを考えるからまずいけない)

 

でもね、もし実際に結婚するとなると、なんか相手にあんまり期待をし過ぎない方が良いんですよね。

 

期待は女の敵だと思ってますから、わたしは。

 

こういう人が理想、みたいな価値観で相手を判断するんじゃなくて、二人で理想の夫婦になっていく過程を楽しめるような人と結婚するのが本当の意味での理想なんじゃないかなーと最近思うんですよ。まあ恋人なんていないんですけどね。

 

それと、あんまり相手に自分のネガティブな秘密をほいほい話すもんでもないなとも思います。

 

誠意をもって相手と接すれば、なんて言いますが、誠意が愛情で返ってきた試しがありませんから。

 

具体的にいえばうつ病なんですけど。

 

うつ病歴がある女とはやっぱり付き合いたくないですもんね。わかりますわかります。

 

わたしだって自分がうつ病歴なかったら、うつ病の男の人は嫌だと思ったと思いますよ。

 

だから、本当に本気で幸せになりたいなら、自分のネガティブな秘密は話すべきではないんです。

 

わたしはもう二度と男の人にうつ病のことを話さないと思います。

 

(2020年7月追記:今お付き合いしている人には、病気のことも全て話しました。受け入れてくれる優しい人です。いるんですね世の中には。)

 

ね、こういうひねくれた思想の持ち主なので、「ゼクシィ重いだろ?」なんて言ってくれる男、もとい牛乳と大根と卵の入っている袋を持つためにスーパーについてきてくれる男なんてたぶん一生つかまりません。はあ~あ。

 

 「わたしは逃げるのが怖かったんだ」

 

今回、母親がアルコール依存症の看護師・雪村や、虐待を受け父親から逃げた過去をもつ青年など、親のせいで人生がゆがんでしまった人物が多く登場したのが印象的でした。

 

いわゆる毒親っていうやつです。

 

わたしの父は毒親ではありませんが、わたしの人生に負の意味で大きな影響をもたらしてきたとわたしは思っています。

 

父の言葉にわたしは縛られ、逃げ出せずにいました。

 

うつ病になったのも、父の影響があると思っています。

 

そのことに気がついたのはうつ病にかかってからで、それ以来、わたしは父の言葉を「呪い」だと思っています。

 

今も同じ家に住んでいますが、心にバリアを張って暮らしています。父もうすうすそれに気づいてか、最近はあまりわたしに干渉してこなくなってくれて、比較的今は快適に過ごせています。

 

しかし、父から離れるために実家を出たいなあ、と最近頓に思うようになりました。

 

家を出たい、と思うようになったのは、けれどかなり最近になってのことです。

 

今までは、漠然といつか家を出なければ、とは思ってはいたものの、やれ収入が少ないだの(本当に少なかったのですが)、病気が再発する可能性があるかもしれないだのと、家を出ることをまったく具体的には考えていませんでした。

 

コード・ブルーの話に戻ります。

 

アルコール依存症の母をもつ看護師・雪村双葉が、物語終盤で姉の若葉と話すシーン。

 

若葉は母と共に暮らしているのですが、双葉に対して母親から逃げ出してずるいという思いを抱いていました。

 

しかし、最後に若葉は双葉に、「わたしは逃げるのが怖かったのだ」と言います。

 

この若葉の気持ち、すごいよくわかるんです。

 

今回の映画で唯一共感できた部分かもしれません。

 

親のせいで自分の人生がゆがんでいるのはわかっていて、逃げ出さなきゃいけない、そうしなければ自分も潰れるとわかっているのに、そうするのが怖い

 

何故なんだろう、と思います。親が毒なら、呪いなら、早く離れればいいのに、何故かそれが怖くてできない。

 

ふたつ、理由があると思います。

 

一つは、ひとりになるのが怖いから。

 

もう一つは、自分に自信がないから。

 

けれど最近、本当にごく最近、家を出なければ!という思いがとても強くなっています。

 

もちろん、怖さがなくなったわけではありません。ひとりは寂しいかもしれないし、暮らしが上手くいかないのを親のせいにすることもできないでしょう。

 

それでも、これからの自分のためには独り立ちしなければ、と思います。

 

そう思えるようになった自分がとても不思議で、変な感じです。特にうれしいとかはありませんが、成長したのかもな、と思っています。

 

 (2020年7月追記:一人暮らしを始めました。距離を置くことで、父との関係も少しずつ良い方へ変わってきています。)

 

 まとめ

コード・ブルーの感想といいつつ、なんかわたし自身の話が多くなってしまう部分がありましたが、作品を観ることでいろいろと考えさせられることがあったのが事実です。

 

作品自体の思い入れが薄いので、自分に照らし合わせて楽しむみたいな観方になってしまったのですが、それはそれでありなのかな、とも思う今日この頃でありました。