いまち月のハコニワ

発達障害&卵巣嚢腫と生きるアラサーガールブログ

「自分に自信がない」が超改善したたった1つの行動

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こんにちは、いまちです。

 

わたしは以前、自分に自信がないことにものすごく悩まされていました。

 

どんなことをしても、自信が持てなくて、そんな自分を変えられないことに非常に苦しんでいました。

 

ですが、約1年前にあることを行ったところ、自分の心の在り方がかなり変化しました。

 

 

私の心を変えた大きな分岐点

 

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最初にずばり言ってしまうと、それは「一人暮らしを始めたこと」です。

 

もちろん、自分に自信を持つために一人暮らしを始めたのではありません。

 

もともとは、職場に近い場所に住みたいと思ったため、実家を出て自由に暮らしたいと思ったためなどの理由で始めた一人暮らしでした。

 

ですが、一人暮らしを始めたことが、わたしの心に大きな変化を与えました。

 

なーんだ、なんて思う方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしはこのことにはちゃんと根拠があったのではないか、と思っています。

 

「自信がない」のは、他人の目を気にし過ぎているだけかもしれない

 

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「自信がない」というのは、そもそも「自己評価が低い」ということですよね。

 

わたしも以前は、自分に対する自己評価が非常に低い人間でした。

 

じゃあ、その評価というのは、どのようにして決まるものなのでしょうか?

 

わたしの場合、無意識に周りの人たちと自分を比較して、自己評価を下げてしまっていました。

 

周りの人たちから見て、自分はダメな人間に見えるだろう、と思っていたんです。

 

周囲の人の目を、明らかに必要以上に気にしていました

 

また、特にわたしは非常勤で働いているので、そのことに引け目を感じ、家族、殊に父の目を気にしていました。

 

わたしは発達障害や、そこからくる疲れやすさなどにより、正規で働くのはしんどいから非常勤で働くのがちょうどいいのだと、頭ではわかっているのに、父を気にして心が勝手に自分への評価を低くしてしまうのです。

 

つまり、「お父さんは内心、わたしに呆れているんだろうなぁ。でも仕方ないよなぁ。わたしがダメ人間なのが悪いんだし…」

 

といったように、周りの目を気にして勝手に自信をなくしていたんです。

 

Point

 

自信が持てない=周囲の目を必要以上に気にしている可能性

 

 

もし、自分に自信がないのは何故?と考えたときに、引け目や恐れを感じる誰かの顔が思い浮かぶなら、わたしと同じ方法で改善する可能性があると思います。

 

自信を持つために必要なことは、環境を変えること

 

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わたしが言いたいのは、「自分に自信が持てない人は、みんな一人暮らしをしろ!」ということではもちろんありません。

 

多くの自信がない人は、もっと自分を変えなくちゃダメだ!とつい思ってしまうことでしょう。

 

ですが自信を取り戻すのに必要なことは、必ずしも自分を劇的に変えることではないと思うのです。

 

自分を変えるのではなく、周りの環境を変えてみることで、自分という存在の捉え方が全く違うものになることもあるからです。

 

Point

 

自信を持つには…

×  自分を変えなきゃ!
 環境を変えてみる

 

 

わたしの場合は、一人暮らしを始めることで自分の置かれた環境ががらりと変わりました。

 

一番は、常に引け目を感じていた父という存在が、日常生活から消えたこと。

 

ダメな自分を許せない。心を解放するための3つの方法」でも述べましたが、自分に自信を持つためにとても重要なことは、そのままの自分を受け入れてくれる人のそばにいること

 

そして、そうではない人からは、そっと離れてしまうことです。

 

自分を受け入れてくれない人の存在というのは、毒と同じです。

 

心に毒を塗られて、自分の価値を殺されてしまっているのです。

 

そういう人がもしもそばにいるなら、自信が持てない原因のひとつはその人の存在かもしれませんから、できるだけ速やかに離れた方がいいです。

 

いつまでもその人のせいで心をすり減らして生き続けるのは、本当に時間の無駄です。

 

その人がいるという今のその環境を変えるだけで心が軽くなり、自分への捉え方がもっと肯定的になるかもしれません。

 

 

また、一人暮らしをすることで、生活のすべてを自分で行う必要が出てきましたから、生まれて初めて「独り立ちができた」という意識も芽生え、それもまた自信につながっていると思います。

 

家事やさまざまな手続きなどをすべて自分で行うのは正直大変です。

 

家計も、自分一人の収入で切り盛りしなくてはなりません。

 

自由を得るということは、それ相応の苦労も同時に舞い込んでくるものなんだなぁ、とひしひしと感じる日々です。

 

ですが、今まで家族に頼っていたそれらをすべて自分でやることで、「自分は一人でも生きられている」という自信になっているのも事実です。

 

これもまた、環境の変化が自然に生み出した結果です。

 

 まとめ:必ずしも自分を変えなきゃいけないわけじゃない

 

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自分に自信がなかったわたしが、前向きに自分を捉えられるようになった行動とは、

 

一人暮らしを始める=自分の置かれた環境を見直す

 

ということでした。

 

 いくら自信がほしいからといって、自分をいきなり劇的に変えることは難しいことです。

 

が、今いる環境が自分により合ったものになれば、それだけで自分への捉え方が変わることもあり得ます。

 

人の心って不思議ですね。

 

わたしは実家暮らしのときと、働き方は何一つ変わっていないのに、明らかに自分への捉え方が前向きになりました

 

今、自分に自信が持てなくて悩んでいる人は、一度自分の周りの環境を見直してみてはいかがでしょうか?

「こうでなくちゃいけないことなんて、この世に何一つない」と気付けよ

こんにちは、いまちです。

うつ病発達障害に、いろいろ苦しんできたわたしですが、そんな人生だからこそ得た持論があります。

 

その考え方でわたしは少しだけ生きるのが楽になったと思っています。

 

 

「こうでなくちゃいけないことなんて、この世に何一つない」

 

 

わたしは親(主に父親)からの多大な刷り込みによって、自分の進路や将来についてかなり苦しみ続けてきました。

 

詳しくはいまちのお馬鹿人生を綴った「無気力ブロガーの怠け人生と苦悩を綴るね」を読んでくれ。

 

まあもちろん自分の気質のせいってのもありますけどね。

 

しかし、その刷り込みのせいで一時自殺未遂にまで追い込まれるほどだったので、教育って怖いですね。

 

父からの刷り込みはざっくりいうと「将来何になりたいかを早く決めてそれになれないと、ろくな人生にならない」というもので、それを小学校低学年くらいからずっと言われ続けていました。

 

今現在のわたしの人生はたしかにろくな人生ではないかもしれないですが、それが将来何になりたいかを早く決めてそれになれなかったからかと聞かれると、そうではないような気がします...。

 

わたしの人生が良いものと思えないのは、自己肯定感が低いからだと自分では思っていますから。

 

今現在は以前よりは自分に自信をもてるようにはなってはいますがね。

 

それはさておき、刷り込みというのは、「思い込みを作る」ということですが...

思い込みというものは、使い方次第で良い方向にも悪い方向にも作用するものです。

 

思い込みを良い方向に使う例は、「自分はこれが得意だ!自分にはできる!」のようなプラスの思い込みで、自信や自己肯定感につながります。

 

反対に悪い思い込みはマイナスの思い込みで、こちらは自信や自己肯定感の喪失につながりかねません。

 

わたしが囚われていたのも「こうしなければならない、さもなくばこうなってしまうだろう」のようなマイナスの思い込み。

 

「さもなくばこうなる」なんてなんの根拠もないような言葉が、思い込みによって本当になってしまったりします。

 

言霊みたいなものですね。言葉が持つ力。言ったことが真実になる力。それと同じようなものです。

 

わたしは、思い込みは呪いだと思っています。

 

わたしの場合は自己肯定感が低いからか、思い込みをあまり良い方向に使えた経験がないのです。

 

父から刷り込みの呪いをかけられたわたしは、「早く将来を決めないとろくな人生にならない」と、根拠なんてどこにもないのに勝手にそう思い込んで、「進路を間違えたわたしの人生はもうめちゃくちゃなんだ」と悩み、心を病みました。

 

今なら若い自分に、「若さがあればいくらでもやり直せるよ」と教えてあげたいです。(そう、若さがあれば...)

 

一度落ちるところまで落ちて、自分を客観的に見られるようになったからこそ、わたしはそのことに気付きました。

 

思い込みって恐ろしいってことに。

 

そもそも常識そのものがただの偏見である

 

 

あの有名な科学者・アインシュタインも、次のような名言を残しています。

 

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションだ。

 

この言葉を初めて知ったとき、雷に撃たれた思いがしました。

 

わたしが長い間信じてきた、父から刷り込まれた常識は、ただの偏った思い込みでしかなかったのです。

 

こうしなければならないことなんて、最初からなかったし、できなければ人生が駄目になるなんて、そんなことはあり得ないのです。

 

わたしの場合は、父からの刷り込みが大きな要因になりましたが、これはどんなことにでもいえると思うんです。

 

たぶん誰にでも、「こうでなくちゃいけない」「失敗したら終わり」って思っていることって何かしらあると思います。

 

それについて断言させてください。

 

それはただの思い込みです!この世の嘘です!

 

特に世の中的によく言われる思い込みが、「就活を失敗したら人生終わり」とか「30までに結婚できなきゃ負け犬」とかですけど

 

それって誰が決めたんですか?神様ですか?始めに言いだした人は神なんですか?と問いたい。

 

別に就活失敗しても人生終わらないし、30までに結婚しなくても何にも負けないよね??

 

世間的に「普通」と言われるような人生のレールからは外れるってだけだよね???

 

その「普通」だって今や変わってきていますから、フリーで働く人とか独身を楽しむ人とかが増えてきて、「普通」という概念それ自体が思い込みかもしれません。

 

いずれにせよ、思い込んでしまっている「こうでなくちゃいけない」は全くの偽りです。できなかったからといって、絶望することはありませんから。

 

極端な話になりますが、つまりこういうことです。

 

こうでなくちゃいけないことなんて、この世に何一つない。

 

まとめ

 

 

わたしはこのことに気付いて、本当に何かから解放された思いがしました。

 

父という、子供の頃から絶対だと思っていた存在の、絶対だと思っていた言葉は、実は絶対ではなかったとわかったのですから。

 

世の中には偽りの絶対神が生み出す呪いがあって、知らぬ間にその呪いが自分の常識になり、そこに囚われて生きてしまうことが多々あります。

 

でも、その常識がいつでも自分にとっての正解であるとは限りません。

 

他人や世間の意見を聞くのは大切なことですが、他人や世間に縛られて苦しむのは間違いです。

 

自分の心を信じた方がいいときもたくさんあります。

そしてそれは、人生に関わる大事な場面では特にそうです。

 

周りに「こうしなければならない」と言われようが何されようが、自分にとっての正解は自分で探そうね、というお話でした。

発達障害者の私がコミュニケーションが苦手な理由

こんにちは、いまちです。

 

わたしは人とのコミュニケーションが苦手です。

 

これは当然、発達障害の特性が大きく関わっているのだろうと思っているのですが、あまりにも他人との会話や関わりがしんどすぎる。

 

そこで今回は、発達障害のどのような特性が、コミュニケーションの苦手につながっているかを個人的に考えてみました。

 

 

 コミュニケーションを苦手にする要因

 

主に次にあげる3つの特性が要因になっていると考えます。

 

常識的感覚が乏しく、話し方がわからない

 

 

発達障害者はしばしば、「大きくなった子供」などと言い表されますが、これはとても言い得て妙ですね。

 

精神年齢が低いということでもあるかもしれませんが、発達障害者が「大きな子供」になってしまう大きな原因は、大人になっているにも関わらず、社会的・常識的な感覚が身についていないということだと思います。

 

ここでわたしが重要だと思うのは、常識を「感覚で」理解できていないという点。

 

「感覚で」って、どういう意味だ?

ようするに、頭では常識を理解しているけど、それが感覚を伴わないということ!

 

発達障害者は常識がないとは言いますが、それは半分真実で半分嘘です。

 

発達障害者だって、二十年、三十年と過ごしてきて、ある程度の社会常識はもちろん経験からわかっているのです。

 

ただ、発達障害者の場合、その常識はあくまでも経験則的に理解しているにすぎません。

 

ある状況に遭遇した時に、それまでの人生で経験したデータにより、その場で「どういう行動をとるべきか」を導き出して実行することは可能なのです。

 

例えば、道を歩いていたら目の前の人が倒れたとします。

 

その時、「病人がいたら119番通報」という教育を受けているので、すぐに救急車を呼ぶという「社会的に適切な行動」をとることができます。

 

が、それはそれまでの経験・データに基づいた行動にすぎないので、感覚では何故その行動が正しい行動なのか、何故その行動をとる必要があるのかがわかりません。

 

もちろん、「病人には治療が必要だから」「放っておくと死んでしまうかもしれないから」などという理由は、論理的に考えれば思いつくことができます。

 

しかし、それを頭の表面で、単なる論理としてしか理解できないのが発達障害者です。

 

極端な話が、いわばロボットみたいなものです…

 

経験がなくても感覚でなんとなく理解して動ける、みたいなことは起こらないんですね。

 

ということは、データにない行動はとれないので、倒れた病人の様子を見て「苦しそうだから楽な体勢に変えてあげた方がいいような気がする…」みたいな判断はなかなか生まれてこないということなんです。

 

 (この話はあくまでも例なので、実際には状況によって判断できたりする場合もあるかもしれないですけどね)

 

だいぶ長くなってしまいましたが、ようするにここでわたしが言いたいのは、発達障害者は常識的感覚が乏しいということ。

 

そして、そのことがコミュニケーションに大きな影響を及ぼしていると思うのです。

 

端的にいうと、会話の場面で、その場に適切な話し方を自分で判断し、上手く話すということが難しいのです。

 

そもそも人と人とのコミュニケーションには厳密なルールやマニュアルなどがなく、相手によって話し方や対応の仕方を変えなくてはなりません。

 

ですが、そのようなマニュアルのない、経験の通用しない行動というのが、発達障害者は大の苦手です。

 

ある程度の予想は立てられますが、人間の気分や感情は完全には予測不可能です。

 

そのため、気を遣わなくていい相手に気を遣い過ぎてしまったり、暗黙の了解をスルーして踏みこんでしまったりと、常識を超えた言動をしてしまい、人間関係が上手く築けなくなってしまうのです。

 

暗黙の了解のようなあいまいな対人ルールは特に苦手で、「暗黙の了解」というものが存在することは理解していても、では何故それが必要なのかが感覚的にわかっていません。

 

そのため、それが「暗黙の了解」であると言われないと気付かない、言われて初めて気付くけれど時すでに遅し…みたいなことにもなってしまうのです。

 

他人との距離の詰め方がイマイチわからないんだよね…

相手との関係がどれくらい親密なのか、それを言ったらはたして失礼に当たるのか、逆に言わないことでよそよそしい人間に見られるか…
みたいな関係性も、判断が難しいってことか。

 

もう少し社会の常識を肌で感じられる能力があれば、こんなにも対人関係に問題は起こらないかもしれません。

 

相手の話に興味をもてない(興味の限定)

 

 

 発達障害者は興味の対象・範囲が非常に偏っていて限定的だとよく言われます。

 

それは誰かと会話をする際にも当てはまることで、自分の特定の関心のある内容以外の話には、全然興味をもつことができなかったりします。

 

コミュニケーションの場では、相手に興味をもつことが関係性を築くための一歩ですから、この特性はとてもやっかいだといえると思います。

 

わたし自身の例だけど、脱出ゲームや好きなYoutuberのことにしか興味ないよ。
昔の友人に会うと必ず仕事や恋愛の話になるけど、まっっったく興味がないので、いつもつまらなくて死にそうだよ。

いまちくらいの年齢のやつ(二十代後半)は、仕事の悩みとか周りの結婚の話なんかが話題の中心だよな…。
確かにそれだと、話が合わないよな。

 

興味の対象に関しては、前項の「常識のなさ」にもつながりますが、周りとずれている場合が多いと感じます。

 

具体的には、自分のこだわりのある物事や、熱中するようなこと。もっとかみ砕いて言えば、オタク的な趣味・関心です。

 

発達障害者には、大なり小なりそういうマニアックなオタク気質が備わっているのだと思います。

 

それと、これは個人的な実感ですが、この偏った興味と、同年代との話題のかみ合わなさが、自分は精神年齢が低いと感じている大きな要因なのではないかな、とも思っています。

 

周りがすごく大人びて見える。怖い。

 

 また、相手の話に興味をもてないと困ることのひとつとして、わたしがすごく感じるのが、相手の情報をすぐに忘れてしまうということ。

 

以前、「努力できない原因は、病気と同じ脳のハンデだよという話」という記事でも書いたのですが、わたしは興味のもてないことを本気で覚えられないんですよね。

 

例えば、仲の良い友人が仕事の話を聞かせてくれたとします。

 

その人の会社名や会社のある最寄り駅、何を扱っている会社か、どんな仕事を任されているのか、同僚や上司の名前など、いろんな話をそのときに聞きます。

 

一時間後、わたしが覚えているその人の仕事に関する情報は、せいぜいその人の業種(食品メーカーで働いている、とか)くらいです。

 

それ以外の情報は、「〇〇さんの働いている食品メーカーの、上司の愚痴を聞いた」程度の情報にまとめられて、詳細はすべて忘れてしまうんです。(ちなみにどんな愚痴だったかもほとんど忘れます)

 

これは、わたしの記憶力が悪いわけではありません。

 

むしろ映画やCMのセリフなんかは、けっこう簡単に覚えてしまえるので、そんなに記憶力は悪くないと思っています。

 

それにも関わらず全然覚えていられないので、大変なのは次にその友人に会うときです。

 

相手はわたしが前回の話を全部覚えていることを前提に話を始めるのですが、わたしからしてみたらわからないことだらけで毎回「???」です。

 

ちなみに、相手に不快にさせない程度に毎回「それって○○だっけ…?」と聞いて確認しています。よっぽど仲の良い友達のデータは、少しずつ頭に入ってきているところです。

 

このように、相手の話になかなか興味をもてず、自分の領分の話題にのみやや食い気味に話してしまうため、よほどの理解がある友人などでもない限り、普通に会話をするのも困難なんです。

 

 

ネガティブな感情にのみ敏感で、会話を楽しめない

 

 

発達障害カウンセラーの吉濱ツトム氏の著書『隠れアスペルガーという才能』によると、アスペルガー人は肯定的な感情には乏しく、反対にネガティブな感情(不安、恐怖、怒り、悲しみなど)には強い感受性をもっているそうです。

 

発達障害者は、表情や状況から相手の感情を読み取るのが苦手だといわれていますが、ネガティブな感情への強い共感性のせいで、逆に相手のネガティブな反応だけを敏感に読み取ってしまうことがあります。

 

わたし自身、相手のネガティブな感情だけは、空気で感じるみたいにしてわかっちゃうよ…。

逆に、ポジティブな反応は読み取れないんだな。

そう。相手が楽しんでいるかわからないときは、相手からネガティブな反応が出てないかを確かめて、それが感じられなかったら「どうやら楽しんでいるようだぞ」とわかる、みたいな。

めんどくせぇ…。

 

ネガティブな感情ばかりが感じられて、ポジティブな感情は全然入ってこないので、会話中はものすごく気を遣ってしまい、疲弊したり、傷ついたりします。

 

その結果、会話そのものを上手く楽しむことができなくなってしまうのです。

 

とどのつまり、一人がラク

 

 

常識的な会話の方法がわからない。

 

距離の詰め方もわからない。

 

相手の話に興味をもてない。

 

相手と話が合わない。

 

ネガティブな感情ばかり気になって会話を楽しめない。

 

もう、こんなんでコミュニケーションが得意なわけない。笑

 

結果、一人が一番ラクってことになっちゃいますね。

 

周りに合わせるのって、めちゃくちゃしんどい。

 

それは相手がどんなに親密な関係であったとしても言えることです。

 

わたしは最近、あまりに人との会話が楽しくないし、会話するのが怖すぎるので、

 

  • 女性の3人以上での雑談には加わらない
  • 一対一で話すときも、なるべく相手の目や表情を見ない

 

を徹底しています。そのおかげで、何とか職場の人たちと最低限の会話だけはできています。

 

友人関係も、本当に心から仲が良いと感じられる人以外、連絡を絶ってしまいました。

 

どんどん一匹狼感が増してきている自分の人生ですが、まあしかたがないかなぁと思っています。

 

だって、しんどいなら無理して付き合う必要もないですし。仕事では会話しないと業務に差し支えるので必要ですが、それもやることはちゃんとやっていれば大丈夫だし、と最近は思います。

 

 

 

絶望から立ち上がるために、人が必要なこと【かがみの孤城 感想】

こんにちは、いまちです。

 

絶望の底って見たことありますか?

 

わたしの絶望の底は、うつ病にかかっていたときだったと思います。

 

あの頃、毎日、明日になるのが怖かった。

 

夜になるとほっとして、夜に守られている気がして、ずっとずっと夜が明けなければいいと思って。

 

夜、布団の中でしか呼吸ができないような感覚になって。

 

泣いても泣いてもいくらでも泣けて。涙なんかいくらでも出てきて。

 

「助けて」って、何度も思った。でも、だれも助けてくれないとも思っていた。

みんな、自分のこと以外は所詮他人事だから。人は自分のためにしか泣けないんだから。

 

この世界に、自分は一人ぼっちだと思った。

 

そう思って、もうどうしようもない、こんな世界わたしは生きていけないと思った。

 

そしてこれが絶望なんだな、と客観的に思いました。

 

そんな思いの渦の中で、かつてのわたしは自殺を試みました。

 

あの頃の私にとって、自殺は、手段のひとつでした。

 

この世界でやっていくための手段。

 

世の中のルールや水準に則って生きることが求められているこの世界で、わたしという人間はどうやらどうしても逸脱してしまうらしい。

 

だったら、そこから脱落するのがひとつの手だろう、と。

 

そのときのわたしは本気でそう考えていました。

 

自分がついていけないこの世の水準から脱落するために、自殺がひとつの手段であると。

 

 

 

その頃の気持ちを、わたしはある小説を読んでふと思い出しました。

 

 

 

辻村深月かがみの孤城

 

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2018年の本屋大賞1位を獲得した話題作、辻村深月さんの『かがみの孤城』。

 

ずっと気になっていて、ようやく読むことができました。

 

これから読む人のために、ネタバレになってしまうので細かい話はできませんが、HPに載っているあらすじはこう。

 

あなたを、助けたい。

 

学校での居場所をなくし、閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然部屋の鏡が光り始めた。

輝く鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物。そこにはちょうどこころと似た境遇の7人が集められていた――

 

なぜこの7人が、なぜこの場所に。

すべてが明らかになるとき、驚きとともに大きな感動に包まれる。

引用元:https://www.poplar.co.jp/pr/kagami/  

 

 すごく引き込まれる作品で、思わず一気読みしてしまったのですが、面白さ以上に何か考えさせられるようなものが多々ありました。

 

この話には、さまざまな理由で不登校になってしまった少年・少女たちが出てくるのですが、彼らの中の一人がすごく追い込まれてしまうシーンがあります。それこそ、

 

「生きてなんて、いたくない。生きられない。」

 

と考えてしまうような、読んでいて本当につらく苦しいシーン。

 

その場面を読みながら、わたしは冒頭でお話した、絶望の底にいたときの自分のことを思いだしたのです。

 

「あ、なんか自分に重なる。この気持ち、あのときのわたしと同じだ」と。

 

絶望とは、孤城に閉じ込められるのに似ている

 

かがみの孤城』のはじまりには、次のような「孤城」の説明が書かれています。

 

こじょう【孤城】

 

①ただ一つだけぽつんと立っている城。

②敵軍に囲まれ、援軍の来るあてもない城。

 

大辞林』 

 

この説明が言いたいのは、孤城に集められた主人公・こころたちの心情は、まさにこの孤城の説明そのものなのだ、ということではと思います。

 

この世界には、自分は一人ぼっち。誰も自分を助けてはくれない。

だから、希望なんてない。目の前の未来は真っ暗。

 

まさに、絶望です。

 

絶望はどんなときに現れるのか。

 

それは、きっとどうしようもなく追い込まれて、自分では何も成す術が思いつかなくて、それなのに誰も助けてくれない。この世に自分を救ってくれる人なんて誰もいないと、痛いくらいに感じる。

 

そんなときです。

 

 『かがみの孤城』で「生きられない」と言った人物が味わったのも、たぶんそんな状況での絶望。

 

わたしは強烈にその子の気持ちがわかりました。

 

そして同時に、そんな絶望の底から立ち上がるために、人には何が必要なのか?ということも考えさせられました。

 

「死にたい」という言葉の裏の本音

 

絶望の中で、人は何を望むのでしょう。

 

人は本当に追い詰められると、「もう生きられない。死んでしまいたい」と思うようになります。

 

でも、それがその人の本当の願いというわけでは、断じてないと思います。

 

わたし自身がそうだったのでよくわかりますが、「死にたい」というのは他に自分がラクになる手段が見つからないからそう思うのです。

 

本当は生きたい、と思っているはずなのです。

 

でも、自分ではもうどう考えても、死ぬ以外の良策が見つからない、わからないのです。だから、「死にたい」という結論になってしまう。

 

「死にたい」という人の本当の願いを掘り起こすならば、きっと「助けてほしい。救ってほしい。誰かわたしを苦しみのない場所に導いてほしい」という願いなのでは、と思います。

 

本当に絶望しているとき、人は一人では生きていられないのではないかな、とわたしは思います。

 

 

もし、絶望の底にいた過去の自分に、今声をかけてあげるとしたら、

 

「あなたは今、自分一人の力ではどうしても未来に希望をもてなくなっている。誰かの助けを必要としているときだ」

 

と教えてあげたいです。

 

周りに助けてくれるような人はいない。誰も自分のためになんか動いてはくれない。

 

あの頃はそう思っていたからこそ、わたしは自殺を図ったのですが、それまでまったくSOSを発さなかったわたしのSOSが、そのことをきっかけで周りに伝わることになりました。

 

わたしの場合はかなり大胆なSOSになってしまいましたが、違う方法でちゃんとSOSを発することができていれば、自殺しようとしたりはしていなかったかもしれません。

 

未来に希望を。自分は一人じゃない。

 

綺麗ごとかもしれません。

 

あの頃のわたしが聞いたら、「なにそれ!?バカじゃない!?」と怒ったかもしれません。

 

しかし、今になってあの頃を振り返り、わたしは本当に自分一人ではどうしようもない状況に自分がいたと、SOSを発してよかったと、本気で思います。

 

それと、もうひとつ大事なこと。

 

絶望の底から立ち上がるには、未来に希望をもてるようになることが、本当は一番大切なことなのだと思います。

 

すなわち、生きている中で、「楽しい、嬉しい、生きていてよかった」と思えるような、生きたいと思えるような何かが未来に見いだせるようになること。

 

かがみの孤城』を読んでいても、そのことはものすごく強いメッセージとして感じました。

 

未来に希望を。自分は一人じゃない。

 

 「大丈夫だよ、大丈夫だよ!」と、こころに言われているような気がします。

 

 

化粧できないのを発達障害のせいにしちゃダメですか?でもできないんです。

 

こんにちは、いまちです。

 

今回は化粧についてです。

 

エネルギー不足で毎朝化粧ができないよ、というお話。

 

 

 

出勤前の化粧がしんどすぎる

 

 

まず前提として、わたしには発達障害があります。

 

発達障害者は、日常の些細なことをやるだけでエネルギーを消費したり、疲れやすかったりという特性があるのですが、化粧もそのひとつ。少なくともわたしにとっては。

 

だってお化粧って、すごい重労働じゃないですか。

 

顔洗って、保湿して、下地塗ってファンデ塗ってチークとかリップとか眉描いたりとか...色々やらなきゃならなくて。もう工事ですよ。顔面工事。

 

BBクリーム等を使って短縮するにしても、洗顔→保湿→クリームの流れは変えられないし。その流れが一番しんどいんだっちゅうに。

 

で、そのしんどい作業を、毎朝、「さあこれから出勤だよ!自転車&電車乗り継いで職場行くよ!しんどいけど働くよ!」って時には、やっぱりできないんですよね!とてもじゃありませんが。

 

本当、わたしはぐでたまもびっくりの超無気力人間なのでね。

 

でも、そこでわたしは思うわけです。

 

「でもさあ、世の中の多くの皆さんは、毎朝ちゃんとお化粧して出勤してるわけだよね?そしてたぶんきっとそれは、発達障害のある女の子たちも含まれるんだよね?」と。

 

いまちは気になっちゃいました。発達障害のある女性の皆さん、毎朝どうしてるんじゃろ。

 

気になったので、アンケートとってみました。

 

発達障害女子、出勤前に化粧するのかアンケート

 

 

皆さん、ご協力感謝します。

 

結果を見れば、まあ当然ですよねという感じ。当然のように、みんなちゃんとお化粧してお仕事行ってる。

 

わたし以外の発達障害女子、お化粧そんなに大変と感じてない説。または、大変でもそれくらいはね...と自分を律してやってる説。

 

どちらにせよ、皆さんすごいし偉いです。尊敬します。

 

まあでも、見ればわかる通り、しない派も22%もいるのですが、それについてはひとつ、アンケートとっていて気が付いたことがあります。

 

化粧を「しない」と言っても、人によって「しない」の程度が違うんですよね。

 

つまり、「ちゃんと保湿とかファンデとかの最低限のことはしてるけど、この程度じゃお化粧なんて呼べないわよね...」と謙遜して「しない」に入れてくれた方が、たぶんいるはず。

 

しかし!いまちの「化粧しない」はマジで本当に「しない」なので。

 

夏は日焼け止めこそ塗るものの、冬は寒いんで顔すら洗わないなんてざらです。

 

ファンデなんて塗って出勤したことほぼありませんよ。はっはっは。

 

だから、その基準でいけば実際は、ほとんどの方がちゃんとお化粧して出勤されているのでは、と思います。みんな本当に偉いなぁ...。

 

そう考えると、じゃあ発達障害を化粧ができない理由にしちゃいけないのかしら...と思ってしまいますが、まあできないものはできないのでしかたないです。

 

わたしがだめなんじゃなくて、みんながすごいだけです。(考え方がくずっぽい)

 

化粧しないで出勤したらどうなるのか?何故いけないのか?

 

そんなわけでほぼ毎日お化粧をせずに、顔を野ざらしにして職場に行っているわたしですが。

 

でも化粧しないで出勤って、そんなことしたらどうなるの???って思う人、きっといると思う。

 

どうもなりません。

 

どうもなるわけないですよね...別に。

 

だってだって、そもそも仕事に行く時にお化粧ってどうしてしなきゃいけないんですか?

 

マナーだからですか?ビジネスの場でノーメイクの汚ねぇ顔をさらしちゃいけないからですか??

 

ふざけんなよ。

とわたしは言いたい。

 

そもそもですね、女性のお化粧がビジネスマナーなんて言われてるのは、日本の特色みたいですから。

 

ヨーロッパ人なんて、仕事に行くのに化粧してもしなくてもよくて、それは個人の自由みたいですから。

 

「すっぴん」っていう概念がそもそも存在しないらしいですから。

 

日本の悪しき慣習。

 

ビジネスシーンでは女性は化粧をしなくてはならないという、日本人が勝手に作り上げた日本特有の思い込みなんですよつまり。

 

なのでわたしはヨーロッパ人の慣習をリスペクトしてすっぴんで出勤します!とかいうわけではもちろんないのですが、

 

でもヨーロッパ人の慣習のことを考えると、ちょっと気が楽になるのも確かです。

 

だって、日本から飛び出してしまえば、「すっぴんで仕事しちゃいけない」なんていう考え方自体が何の意味ももたなくなるわけですから。

 

だから少なくとも、わたしはやっちゃいけないこの世の禁忌を犯しているわけでは断じてないのです。無論。

 

それでも化粧せずに仕事に行くとなんか罪悪感的なものを感じてしまうのは、日本人が出る杭を打つ、マイノリティに厳しい国民性だからかもしれないですね。

 

みんながお化粧してるから、自分もしなきゃいけない気分になってしまうんだと。

 

でも、発達障害とかいろんな理由があって、朝どうしてもお化粧して出かけられない人って結構いると思う。

 

もしそれでなんとなく罪悪感とかを感じていたとしたら。

 

そんなもの感じる必要なんか何もないですよ、と教えてあげたい。

 

こうしなくちゃならないことなんて、この世には何一つないのですから。

 

お化粧したくない、できないならしなくて良い。別に何もいけなくない。そう言いたいです。

 

まとめ

 

今回は、化粧をせずに仕事に行くのはいけないことか?について考えてみました。

 

わたしの出した結論としては、「別にしてもしなくてもいいんじゃない?そんなの個人の自由でしょ?」という感じですね。

 

ヨーロッパの女性は化粧せずに仕事に行く人も多いということですが、日本だって男性として生活していれば、世の中から化粧を求められることはないわけです。

 

それもなんかおかしい。何故女性というだけで毎朝ちゃんとお化粧しないとならんのか。

 

男性がお化粧を求められないなら、女性もお化粧をしなきゃいけないと言われる筋合いはないんじゃないのかな、と思います。不平等だもん。

 

まあ誰がなんと言おうと、わたしは日々のエネルギー削減のために、出勤前の化粧はこれからもせずに生きていくと思いますが。

 

まあ、年齢が上がるにつれて多少は考えなきゃいけなくなるのかなとは思っているのですが…。

 

 

【発達障害】週5日フルタイムで仕事できないので、週4勤務で生きてく方法考える

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こんにちは、いまちです。

 

週5日働けません。

 

もうとことんまでに週5日働けませんどうしたらいいですか。

 

 

週5日働けない嘆き

 

わたしは現在、非常勤保育士で、週5で一日8時間勤務で、残業はほぼ皆無で、しかし働けません。週4日がギリですね。

 

週5日ある週はまず間違いなくどこかでダウンして休んでしまいます。

 

これはもう本格的に諦めた方がいいということなんでございましょうか。

 

最近こんなことが続いているので、すっかり諦めモードが立ち込めている次第です。

 

もう諦めてマイペースにやれればええやん、と思うのですが、まあ唯一のネックはやはり給与面ですわん。

 

非常勤は時給制なので、休めば休むだけお金が...手取りが...ね...という感じ。

 

でも、じゃあしっかり週5で働けよ!というツッコミは、自分の中ではもう億千万回してきているのです。働けないから悩んでるんだよ。

 

仕事は楽しいし、職場の人間関係も概ね良好だし、ほぼほぼ言うことないんだけど、唯一不満というか悩みがあるとしたらお金のことです。

 

お金がない!週4勤務で生きてく方法を考えよう

 

週4勤務ならまあ、わたしでもぼちぼちやっていけるんですよ。

 

わたしとしては今のこの毎週5日で入れてるのに、途中で具合悪くなって倒れるパターンをどうにかしたい。

 

最初から週4だけにしておければ職場に迷惑かけることもなく、心置きなく週3回休める。

 

それを叶えるためには...まずお金ですね。

 

生きていくにはお金、必要ですから。

 

今の状態、ひと月休まず20日間働ければ、手取りで16万くらいはいけるんですよ。16万あれば一人暮らしできそうじゃないですか。

 

でも、休んじゃうから13〜14万くらいしかもらえなかったりする。ひどいと12万切る。まずい。大変まずい。

 

今は実家暮らしだからなんとかなってるけど、2019年中に一人暮らし始めるって決めましたから。わたし、決めましたから。

 

そうなるとちょっと作戦が必要ですよね。

 

週4勤務の給料だけで一人暮らししていくための作戦。

 

作戦① 支出を抑える

 

これ当然のことなんですが、月12万しかもらえなかったら無駄な出費はできないわけで。

 

今は実家暮らしなので、家賃とかもないし、家に入れるお金も微々たる金額にさせてもらっている。

 

実家暮らしの特権ですね。でも、一人暮らしするとなるとそうはいかんぜよ。

 

家賃は安いとこ(3万円代?)探さなきゃだし、食費や光熱費、雑費もできるだけ抑えたい。

 

まあ今は具体的なイメージが掴みきれないので、それはおいおい実行してから考えよう。

 

実家暮らしの今、支出を抑えるためにやっていることは、

 

  • プライベートで使うお金を抑える
  • 服とかあんまり買わない
  • 楽天モバイルで通信料抑える

 

とかかな。

 

貧乏人なんで、プライベートのお金はあまりかけないようにしていて、今は月2万円。

 

友人と遊んだり、一人で外食したり、化粧品や洋服などを買ったり、どこかに行くときにICカードをチャージしたり、全部この2万でまかなっています。

 

意外と足ります。遊べてます。

 

が、所詮2万なので超シビアに使うようになります。友人とかはわたしが貧乏って知ってるので、高いお店とかには誘ってきません笑

 

そして、服も自然と買わなくなります。手持ちのワードローブでなんとかしようという状態です。常に。

 

たまに、ユニクロしまむらでちょこっと買い足しているけど。

 

あとは、通信料もauから楽天モバイルに変えることで、月3000〜4000円くらいで済むようになりました。これはすごい変化。

 

もちろん、切り詰めるばっかりじゃなくて出す時は出してますよ。2ヶ月に一回はパーマかけてるし。年一回は旅行も行くし。ディズニーランドも年一回は行ってる。

 

ディズニー行くためにちょっと前から貯金...とかやってるわけだけど笑

 

今のところ、これで特に大きなストレスもなく割と自由にやれているので、実家暮らしのうちは問題ないです。貯金も一応しているし。ちょっとだけど。

 

がしかし、問題は一人暮らしですよね。そうなるともう少し考えんといかん。

 

作戦② 収入を増やす

 

これですよ。

 

問題はこれです。

 

週4日しか勤務せずにいかにして収入を増やすのか???いわゆる副業ってやつ。

 

一応このブログにもアドセンスとかつけてみたりしていますが、全然収入としては成立してません。スズメ、否、ミジンコの涙です。ミジンコっていつ泣くんだろ。

 

今まで試してきた副業的なものはこちら。

 

  • ブログにアドセンス貼る(これ)
  • ポイントサイト
  • ネイバーまとめ
  • Wワーク

 

上3つはネットがあればやれるものですね全部。

 

これらはみんなコツコツやれる人向けのもので、わたしのような面倒くさがりには心底向いていないと思いました。うん。

 

毎日書き続けなくちゃいけないとか、トレンドチェックしなきゃいけないとか、あと、画面を見続けるのも地味に苦痛。

 

ブログ意外は今の時点で続いていません。収入にもほとんどなってない。

 

Wワーク、一時期していたんですが、本当に体力的にも精神的にもしんどかったなぁ。

 

週4日労働どころか、9.5時間×5日で働きました。もうやりたくない。

 

あの頃オタ活してたんで、何がなんでもお金ほしかったんですよ。オタクの情熱は半端ないですね。日本で一番情熱的な人種は、オタクなのではと思っています。

 

オタ活やめたら、当然Wワークをやるメリットが何もなくなったので速攻でやめましたが。

 

なので、現時点では副収入についてはまだ模索中です。面倒くさがりなわたしでも少しでも収入になるものが見つかればいいのですが。

 

障害年金がもらえるなら何も悩まない

 

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わたしが週5で働けない大きな原因は発達障害ですから、もし障害年金がもらえるのであれば、こんなに悩むことはないはずなんです。

 

実際、障害者雇用のお給料ってものは、障害年金のことを見越して安めに設定されているそうな。

 

が、現在多くの発達障害者は障害年金を受給できないというのが現実みたいです。審査が通らないらしい。日本腐ってる。

 

障害年金、申請してみてもいいけど、「障害年金落ちた日本死ね」となるのが関の山感あって何もしていません。

 

 

ジココウテイカンとリンゴ【よわいこころのよみきりたんぺん】

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これはとある3つのリンゴのおはなし。
 3つのリンゴはえいちゃん、びいちゃん、しいちゃんといって、見た目はおんなじ青リンゴ。
 けれどそれぞれ、べつべつのくだもの屋さんに送られて、三こ三ようのじかんを過ごしました。

 

 そらいろくだもの店のおじさんは、ことしのリンゴがいつにもましていいにおいだということを知って、大よろこびでした。
 木箱をあけたとたん、甘酸っぱい蜜のにおいが部屋じゅうを花やかにとびまわり、おもわずおじさんは胸いっぱいにそれを吸い込みました。
 そして、えもいわれぬふくよかな気持ちになって、箱のなかのえいちゃんと目が合いました。
 ふうわりふわりと花のにおいをまとったえいちゃん。
 おじさんとえいちゃんはにっこり微笑み合って「やあ」「初めまして」とあいさつを交わしました。
 それからおじさんは、来る日も来る日もえいちゃんのにおいをかいでは、
「おまえはなんていいにおいなんだ。世界じゅうのうつくしい花からミツバチが蜜を集めてきたとしても、こんなにゆたかなにおいにはなるまい。」
 といいました。
 えいちゃんは、自分ではにおいを感じることができませんでしたが、おじさんがいつもそういうので、「そういうものかな」と思っていました。
 また、おじさんはこうもいいました。
「おまえのいた果樹園では、きっとおひさまの光のつぶをありったけ集めて、おまえたちリンゴにかけてまわるのが日課だったんだろう? おまえのにおいは春の日ののどかな昼下がりにする、しあわせな日向ぼっこのようだ。」
 じかんが経ち、えいちゃんはじゅうぶんに熟した真っ赤なリンゴになり、お店に並ぶことになりました。
 ちゃんとお客さんに気に入ってもらえるかしら。
 少しだけ不安なえいちゃんに、おじさんはこんなことをいいました。
「おまえはとてもいいにおいだから、きっとそのまま店に出してもだれかに買ってもらえるだろう。だけどもし、おまえをそのにおいごと絞りだし、あまさずジュースにしてしまったら、とても濃く甘いしあわせのジュースになってたくさんの人を楽しませることができるかもしれないのだが、どうかね?」
 えいちゃんは、それはなんとすばらしい考えだろうと思いました。
 もちろん、自分にそんなにたくさんの人たちをよろこばせる力があるのかしら? と頼りない気持ちもありましたが、おじさんが毎日のようにえいちゃんのしあわせのにおいを教えてくれていたのを思い出すと、なぜだか自分はきっとよいかおりのするおいしいジュースになれるだろうと思うことができました。
 そうしてえいちゃんは、勇気をだしてジュースになることを決めたのでした。
 おじさんのいったとおり、えいちゃんはほんとうにおいしいジュースになって、「しあわせのリンゴジュース」はそらいろくだもの店の看板メニューになりました。
 飲んだ人たちは口々に、みなこういったそうです。
「このジュースは、味ももちろんおいしいけれど、とってもとっても、世界一いいにおい!」

 

 夕焼けフルーツショップには大きな鏡があって、お店の人やお客さん、そしてくだものたちのすがたを毎日毎日うつします。
 びいちゃんは鏡にうつった自分を見て、ほかのリンゴたちよりも、自分がいちだんとつやつやに見えることをみつけました。
「ねえねえわたしって、すっごおくぴかぴかじゃない? 水を浴びていないのに、浴びたみたいにかがやいてる!」
 びいちゃんがお店のおじさんにいうと、おじさんは忙しそうにしながら、
「うんうんそうだねえ。ぴかぴかだねえ。」
 と答えました。
 とても大きなくだもの屋さんなので、お店の人たちはいつでも大忙しなのです。
 またあるとき、びいちゃんはおじさんの奥さんを呼び止めて、
「見て! 窓辺に立つと、日差しがあたって光の輪ができる! これってとてもきれいじゃない? 裏口のクモの巣にできる銀の朝つゆにだって負けないわ!」
 といいました。
 奥さんは両手に重い荷物を抱えて、
「そうねえ。きれいねえびいちゃん。」
 と微笑みました。
 おじさんの子供たちもときどきお店にやってきて、売り場を眺めたり、おやつに奥さんが切ったくだものを食べたりしています。
 ふたりの子供のうち、男の子のほうはリンゴがきらいで、びいちゃんを見ても
「ぼくきらい。さくらんぼが、いい。」
 といいます。
びいちゃんは「そんな子もいるのね」と思いました。
それで、子供たちが遊びに来ると、女の子のほうだけを呼び止めて、
「わたしを食べたい? おいしそう?」
 と聞きました。
 女の子は決まって目を輝かせて、
「食べたい! ねえ、いまかじってもいい?」
 というのです。
「わたしはじきに赤く熟れて、お店に並ぶリンゴだから、だめよ。」
というと、女の子はとても残念そうにするのでした。
 そしていよいよ、びいちゃんがお店に並ぶ日が来ました。
 びいちゃんにとって、待ちに待った日でした。
 びいちゃんは奥さんに頼んでやわらかい布をもってきてもらうと、それでからだをきゅっきゅっとこすりました。
 すると、びいちゃんのからだはいつにもまして、まるで真っ赤に輝く夕日のように美しく輝きはじめました。
 鏡でその姿を確認すると、びいちゃんはとても満足して、お店の台の上に並びました。
 その日の夕方ごろ、小さな男の子をつれた女のお客さんに、びいちゃんは買われていきました。
 女の人がどれにする? と男の子に聞くと、男の子はしばらくじっと台の上のリンゴたちを見比べてから、びいちゃんを手に取ったのでした。
 びいちゃんは、次の日の男の子のお十時のおやつになりました。
 男の子は小さなからだで、びいちゃんをまるまるぜんぶ食べてしまったのでした。

 

 しいちゃんはものすごく悩んでいました。
 雨だれフルーツ店のおじさんが、
「おまえはいずれすぐ熟すだろう。そうなったら、どんなふうにして店に並びたいのか、よく考えて決めておきなさい。」
 といったからです。
 おじさんは送られてきたときにひと目でしいちゃんが気に入り、きっといちばんいいかたちでしいちゃんをお店で売ってやりたいと思ったのです。
 けれどしいちゃんには、こんなふうにしてお店で売ってほしいなあという夢なんかぜんぜんありません。
 どうやって、決めたらいいのかしら。
 いくら考えてみても、しいちゃんにはよくわかりませんでした。
 それでしかたなく、しいちゃんは勉強をしはじめました。
 リンゴについての本をよんで、どんなふうにお店に並べばいいのか、考えることにしたのです。
「リンゴにもそれぞれ個性があって、それによって何に使うのかを決めるとよい。」
 本にはそう書いてありました。
 でも、しいちゃんには自分がいったいどんなリンゴなのか、何に使うのに向いているリンゴなのか見当もつきません。
 毎日毎日調べてもまったくぴんとこないまま、からだは少しずつ赤く染まってきていました。
 このまま赤くなりすぎちゃったら、どうしよう。
 もしかしたら、もう食べごろなんてとっくに過ぎてしまっているかもしれない……
 しいちゃんはだんだんとどきどきしてきました。
 心配になって、古くなったリンゴの使い方をよんでみると、そこにはリンゴジャムのつくり方が書いてありました。
 しいちゃんは、あ、これだわ! とよろこんで、おじさんに
「わたし、リンゴジャムになるわ! そう決めたの!」
 といいました。
 するとおじさんはため息をついて、
「うちはジャムはイチゴかマーマレードしか置いてないんだ。リンゴジャムはあんまり売れないからね。」
 しいちゃんは心の底からがっかりしました。
 せっかく、見つけたと思ったのに。
 落ち込んでいるしいちゃんに、おじさんがいいました。
「だったら、タルトなんてどうだい。リンゴのタルトだったら人気があるし、値段も高く売れるんだよ。いい考えだろう?」
 おじさんは実は、よいリンゴを仕入れることができたら、それを使ってタルトをつくってみたいと思っていました。
 それはおじさんの夢でした。
 けれど、タルトはなんだか女の子みたいだなあ、と思うと、恥ずかしくってだれにもいうことができなかったのでした。
 おじさんはほんとうは、しいちゃんを見た最初からタルトをつくるという夢をぼんやりと思い出していましたが、タルトをつくりたいなんて、照れくさくてやっぱりいいだせなかったのです。
 だから、しいちゃんが自分から、わたしをタルトにしてほしい、といってくれるのを、心の奥のほうでほんの少しだけ願っていました。
 それでも、しいちゃんがタルトのことをいってくれなかったので、おじさんは、よし、と意を決して提案したのでした。
 しいちゃんは、けれど自分がタルトに向いているとはとても思えませんでした。
 タルトに向いているリンゴはにおいが良く、つやもあるおいしいリンゴなのだと、しいちゃんがよんだ本には書いてあったのです。
 タルトはいやだとしいちゃんがいうと、今度はおじさんががっかりした顔になりました。
「それなら、好きにお店に出ればよい。でも、ジャムはうちには置けないからな。」
 おじさんはそういうと、仕事に戻っていきました。
 しいちゃんは悲しくなってしくしく泣きました。
 そうしてずうっと泣いていると、あるとき、くらりと力が抜けて、しいちゃんはころりと台の上から転げ落ちました。
 それをみつけたおじさんが、しいちゃんをしずかに拾い上げ、お店のすみの、「わけありリンゴ 一個五十円」という札の下がった棚に、それをぽとんと置きました。

 

とある3つのリンゴのおはなし。

発達障害者は疲れやすい?原因と生きやすくするヒント【スプーン理論】

スプーン理論でわかる発達障害者のエネルギー量

 

こんにちは、いまちです。

 

発達障害をもっているわたしがずっと苦しんでいることのひとつが、疲れやすいという問題。

 

これ、巷ではよく言われているし、発達障害に関する書籍なんかを読んでいても、発達障害者の特性の一つとして挙げられていることですよね。

 

わたしは慣れないことやルーティン以外のことはもちろん、日常の当たり前の行動が、ストレスを感じるほど負担になってしまったりします。

 

具体的には、食事とか、入浴、家を出る、タンスに物を出し入れするなど。

 

 

 

なんでそれだけなのに!?みたいなかなりチョロいことにも、いちいち抵抗を感じてます。

 

それも、ほとんどが子供のころからずっと感じていることなんですよね。

 

 これってわたしだけ??と気になったので、アンケートを実施させてもらいました。

 

 

発達障害者は本当に疲れやすいの?

 

 

Twitterのアンケート機能を利用して、発達障害者の方を対象に、日々の行動のエネルギー消費に関するアンケートを取らせていただきました。

ご協力くださった方、ありがとうございます!

 

 

 アンケートの結果は、9割を超える方が「日々の行動にエネルギー消耗・疲労を感じている/感じていた」と回答。

そのうち、症状が子供のころからあったと回答した方は約7割でした。

 

みんなけっこう日常の行動に疲れを感じている…!

 

普段と違うことをして疲れるのは当たり前ですが、いつもやってるようなささいなことで、激しいエネルギー消費を感じるというのは困りますよね。

 

また、7割の人が子供のころから症状を認識していますが、発達障害の特性は子供のころから持続していることがほとんどですから、やはり多くの人が障害特性としての疲れやすさをもっているのかもと感じました。

 

なお、子供のころは感じなかったのに、最近になって日常に疲れを感じ始めた方は、何か他の原因も考えられるかもしれません。(うつ状態など)

 

(ちなみに、定型発達の方にも本当は同じアンケートを実施したかったのですが、おそらく「定型と思って生活している発達障害の方」も多数いらっしゃるんじゃないかな…と思い今回はやめました。)

 

疲れやすさの原因

 

何故、発達障害者はこんなにもエネルギーの消耗を感じやすいのでしょうか?

 

発達障害カウンセラーの吉濱ツトム氏は、著書『隠れアスペルガーという才能』の中で、「アスペルガー人は体が弱い」とした上で、次のような理由を挙げています。

 

アスペルガー人は基本的に体が弱く、常にどこかに不調を抱えている。

 

〜中略〜

 

代謝の低下、消化力の低下、睡眠不足、栄養不足、自律神経の乱れなどの問題が現れる。

これらの問題が、理由のないだるさ、疲れやすさ、頭痛や肩こり、腰痛、アレルギー、胃腸の弱さ、女性の婦人科系のトラブルを引き起こしている。

(一部要約)

 

つまり、発達障害者はいつでも元気いっぱいということはなく、常に何らかの体の不調を抱えながら生きているといえるのです。

 

慢性的な体調不良が、疲れやすさの大きな要因になっているって言えるのかも。

 

わたしいまちも、慢性的なだるさと肩こり、アレルギー、腸の弱さ、生理不順、そして卵巣嚢腫(チョコレート嚢胞)など、さまざまな体の不調を抱えているので、非常に合点がいきました。

 

さらに、発達障害者の疲れやすさについて調べていたところ、それを理解し、生きやすくするための、ある考え方に出会ったのでご紹介します。

 

スプーン理論という考え方 日々のエネルギー量を視覚化

 

 

スプーン理論とは、全身性エリテマトーデスという慢性疾患の患者である、クリスティーン・ミゼランディーノさんの考案した考え方です。

 

慢性疾患を抱えるクリスティーンさんは、自分のもっているエネルギー量と、毎日の活動に対するエネルギー消費量を正しく把握して、慎重に配分する必要があるといいます。

 

そのエネルギー量をスプーンの本数で表すことで外部にもわかりやすく視覚化した比喩が、スプーン理論です。

 

そしてこの理論は、発達障害者の疲れやすさを理解のにもとても参考になる考え方なのです。

 

 

スプーン理論要約

クリスティーンが友人とダイナーで食事をしていると、友人が「SLE(全身性エリテマトーデス)を持っている、ってどういう感じなの?」と訊ねてきた。

そこで、クリスティーンは12本のスプーンを集めてきて彼女に持たせた。

「ほら、これであなたはSLEよ。」

クリスティーンは、健常者は朝起きた時に沢山のスプーンを持っているが、病人は限られた数のスプーンしか与えられていない、と伝えた。

友人に1日にすることを挙げてもらう。彼女が一気に「仕事に行く」というタスクに取り掛かろうとするので、そう簡単にはいかないことを教えた。

「まず、目を開いて、起き上がり、ベッドから出て、それから薬を飲むために朝食を準備しないといけない」

ここでクリスティーンは友人からスプーンを1つ取り上げた。

シャワーを浴びることでもスプーンを使い、着替えにもスプーンを使った。

仕事に行く前、彼女の手元のスプーンはすでに6個にまで減っていた。

仕事に行ってからは、昼食を抜くことや、パソコンを長く使いすぎることでもスプーンが減ってしまう。

また、夕方には夕食を食べなくてはいけないが、そのころにはスプーンはあと1つしかなかった。

 

クリスティーンは、持っているスプーンの数はその日によって異なることを教えた。

一番難しいことは、ペースを落とすこと。スプーンを数える必要がなかったころの自由が懐かしいが、これが健常者と病者のライフスタイルの違いなのである。

 

 原文が読みたい方はこちら。英語ですが。

 

 この考え方の発案者であるクリスティーンさんはSLEという慢性疾患の患者ですが、スプーン理論はSLE以外のさまざまな病気や障害を理解する上でも、非常に有効な考え方なのです。

 

発達障害の視点からスプーン理論を考える

 

実際に、スプーン理論を発達障害者のエネルギー消費に結びつけている本があります。

 

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見えない違い 私はアスペルガー』は、フランス人アスペルガー女性マルグリットの日常を描く漫画。

 

作中で、「アスペルガー当事者が1日に使えるエネルギーは限られている」ということに、スプーン理論を使って言及しています。

 

この本の主人公マルグリットはアスペルガーとのことですが、ADHDで激しいエネルギー消費を実感している人が多いことから、これは発達障害全般に同じことがいえるのでは、と思います。

 

発達障害者は、1日のエネルギー量に限界がある!

 

本書によると、アスペルガーの人が1日に使用できるエネルギーも、スプーン12杯分

 

マルグリットはこの基準を意識することで、自分の疲労具合を視覚化して把握することができるようになっています。

 

体が弱いのに、自分の疲労具合が見えないために、いつのまにか限界を超えて活動停止してしまうことの多いわたしたち発達障害者にとっては、疲労の視覚化は実に素晴らしいライフハックですね。

 

まとめ:自分のエネルギーの限界量を知ろう

 

 

今回は、自分のエネルギー量を視覚化できるスプーン理論という考え方をご紹介しました。

 

もちろん、何にどんな風にエネルギーの消耗を感じるかは人それぞれでしょう。

目安はあっても、人によって何がスプーン1本分になるのかは、厳密には異なると考えられます。

 

だからこそ、自分が何に激しくエネルギーを消費するのか、何をしたらどのくらい休憩が必要になるのかを、自分自身である程度把握しておくことで、毎日が過ごしやすくなると思います。

 

わたし自身、精神的疲労を感じて急に倒れることが多いので、エネルギー消費量を意識して日々を過ごしてみようと思う!

  

 

【WAIS-Ⅲ】群指数別 検査結果の見方&発達障害者の困り感

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こんにちは、いまちです。

 

今回は、WAIS‐Ⅲの結果(数値)から見る発達障害者の困り感について書こうと思います。

 

最初はこの記事を書こうと思った理由などについて述べたいので、本題だけ知りたいかたは目次からお好きな項へ飛んでくださいね。

 

 

 

WAIS-Ⅲの結果をちゃんと活かせてる人いるの?

 

WAIS‐Ⅲの結果を公開!数値から読み取れる日常の困難と対処法」という記事でも取り上げましたが、わたし自身も発達障害をはっきりさせるため、2017年秋にWAIS‐Ⅲを受けました。

 

その際、結果について、数値の書かれた紙や所見を少しいただけたのですが、正直これだけじゃ何もわからないだろ…という感じの資料しか手元に残らない。

 

群指数や下位検査項目ごとの凸凹ははっきり見えていて、「ああ、発達障害っぽい凸凹具合だなあ」ということを実感はできたのですが…

 

 じゃあ、どの数値が低いことで、どんな困り感が生まれているのか、みたいな細かい説明何もなかったやん…!

 

ということに気が付いてしまったんですよね。

 

これは病院とか担当した心理士さんにもよるとは思いますが、わたしの場合あまりにも期待していた情報がもらえなかったんですよね。

 

それで思った。

これじゃ何のためにWAIS受けたかわからんやーんと。

 

というかそもそも、WAISの結果を日常生活で活かせてる人っているの???って思った。

 

 

それで、みなさんのWAIS事情を知りたくて、無謀にもTwitterアンケートを実施。

その結果がこちら。

 

 

ご協力くださった方、ありがとうございます!

 

 実はこのアンケートの主旨はみなさんの困り感を知りたい!であり、どの群指数が一番低いかというのはおまけの調査だったのですが、投票結果も興味深い結果になりました。

 

4つの群指数のうち、処理速度がもっとも低いという方が一番多く、たくさんの方が処理速度凹で悩んでいらっしゃるのかも、と思いました。

 

ちなみにわたしも処理速度がもっとも低い値なので、多数派ですね。仲間がたくさんいて心強いです。

 

で、一番少数派なのが言語理解でした。あくまでも今回のアンケートでの話にはなってしまいますが、こんなに群指数ごとに数値が偏るとは思いませんでしたのでちょっとびっくりですね。

 

 

群指数別 発達障害者の困り感

 

さて本題。

 

こちらのアンケートや、この後に別でつぶやいたツイートに想像以上の方から反応をいただき、みなさんの困り感についてちょっとだけ知ることができました。

 

発達障害者の困り感というテーマですが、今回はWAIS-Ⅲの低い群指数ごとに困り感を集計したので、どの群指数が低いとどんな困り感が出てき得るのか、という角度からまとめてみたいと思います。

 

言語理解 って何?低いとどうなるの?

 

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言語理解は、言語性IQに分類される群指数です。

 

ざっくり説明すると、「言葉をインプット&アウトプットする力」のこと。

 

言語理解が低いと、以下のような困難を抱える可能性が高まります。

 

①状況を言葉に起こせない

状況や感情などのような非言語情報を、言葉として上手く表出することが苦手になる。

 

②成績が低くなりがち

勉強には、どんな教科でも言葉を多用するものである。単語を覚える、文章を読解する、説明するなど、言葉のインプットとアウトプット力が成績に直結するため、あまり芳しくない成績になってしまいやすい。

 

勉強が苦手で、どちらかといえば実技教科の方が得意な人が多いかも!

 

言語理解が低い人の困り感

 

実際に言語理解凹のみなさんから寄せられた、困り感の実例をあげます。

 

●自分の感情を他人に伝えるのが苦手。泣いているときに、何故泣いているのかわからなくて言うことができない。周囲に泣いている理由を勝手に決めつけられる。楽しいとき、不安なときにも同様のことがある。

(⇒「一般的にこういうときは悲しいときだから、自分の感情も悲しいという言葉で表せるだろう」のような推測から説明できることもある)

 

●言葉は、目で見てゆっくりなら認識しやすい。耳からの情報を聞いて記録を取ったりするのは苦手。

 

●会話中、答えや結論があるものは比較的説明できるが、とっさに言葉に出すのは苦手。

 

●とっさに論理的な話をしなければいけないシチュエーションが苦手。

 

●話し合いなどで自分の考えや思いを言語化できない⇒相手にたくさん言われて、言い負かされるor真剣に聞いていないなどと言われる⇒悲しくなっても、それも上手く言葉として表出できない⇒話し合いが終わってから、それらがだんだん言葉にできてくる

 

●会話中、言いたいことが頭の中ではわかっているのに、どの言葉で発すれば良いかわからない。

(⇒時間をかければできる)

 

●状況は理解できるのに、当てはまる言葉が思いつかなくて感覚を持て余す。

 

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全体的に、会話の際の言葉の取捨選択に困り感を感じている方が多いなという印象をもちました。

 

状況や感情をしっかり感じ、それを説明できるだけの言葉も自分の中にちゃんともっているのに、スムーズに言葉が出てこないといった感じでしょうか。

 

言語理解凹は、言葉のインプット・アウトプット双方に困難が出る可能性がありますが、日常的にはアウトプットの方に困り感を感じている方が多いのかもしれないなと思いました。

 

言いたいことがまとまらない、ふさわしい言葉が出てこないなんていう意見が多かったな!

 

解決策としては、考えを整理する時間を十分にとることだと思います。時間をかければ言語化しやすくなる、という意見も多数いただきました。

 

状況にもよるとは思いますが、焦らずに会話ができるよう相手に多少待ってもらうなどの配慮をしてもらえると、会話のシチュエーションがぐっと楽になると思います。

 

作動記憶 って何?低いとどうなるの?

 

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作動記憶は、言語性IQに分類される群指数です。

 

ざっくり説明すると、「情報を脳内にメモし、そのメモを使って物事を処理する力」のこと。

 

作動記憶が低いと、以下のような困難を抱える可能性が高まります。

 

①とっさに何か覚えることが難しい

電話や口頭で伝えられたちょっとしたことなど、すぐに忘れてしまう。覚えておく力が弱いため、気を抜くと簡単にわからなくなる。

 

②覚えたことを使って他の物事をこなすことが難しい

脳内にメモした情報を利用して、別のことを処理するのが苦手。

暗算などが良い例。(数字や数式を脳内にメモしてから、それらを使って計算をする)

 

頭の中のメモ帳の大きさが小さい人、と考えるとわかりやすいよ。

ちょっとした情報が入るだけで、簡単に古いメモがはがれてしまうんだ。

 

作動記憶が低い人の困り感

 

実際に作動記憶凹のみなさんから寄せられた、困り感の実例をあげます。

 

●時間割をそろえるのが苦手。

時間割を見る⇒覚える⇒探しながら時間割を忘れてしまう

 

●暗算ができない。計算を考えているうちに、もとの計算式が頭から消えてしまう。

 

●後回しにすると、やること自体を忘れる。

 

●物を置いた場所をすぐに忘れるため、家の中がぐちゃぐちゃになる。

 

●何か頼まれたり、連絡を受けたりしていても、メモしなければすぐ忘れてしまう。電話応対、客との口頭でのやり取り、クレーム対応などは、聞き間違えたり何度も聞き返したりしてしまう。

(⇒メモで要点だけは書くようにしている)

 

●書類の枚数を数えていたとき、ミスを防ぐために2回数えたが、数え終わったら1回目の数を忘れていた。動揺したら2回目の数も忘れてしまい、最初から数え直した。

 

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日常生活や仕事の中のちょっとしたことに不便を感じている人が多かったです。

 

この「ちょっとしたこと」というのがポイントで、「へ?そんなこともできないの?」というような簡単なことが困難になっている、ということ。

 

仕事なんかは、この「ちょっとしたこと」の積み重ねでマルチタスクになる場合が多いため、作動記憶が凹だとマルチタスクが苦手になる、というのはここからきているんだろう、と考えられました。

 

でも逆に、作動記憶凸=マルチタスクが得意というわけでは必ずしもないよ。

マルチタスクの苦手さは、記憶以外にもさまざまな要因が重なって起こる症状だからな!

 

 解決策は、やはり面倒くさがらずにメモを取ることでしょう。

 

特に電話などは、切ってしまってからでは相手に確認のしようがないので、職場で電話を取る際には必ずメモ用紙とペンを手に持ってから受話器を取る、というご意見もありました。

 

たまに、ちょっとしたことでも忘れないように、手にボールペンでメモを書いている人もいますが、あれも良いと思います。ただし、手を洗ってメモが消えてしまわないように気を付ける必要がありますけどね。笑

 

知覚統合って何?低いとどうなるの?

 

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知覚統合は、動作性IQに分類される群指数です。

 

ざっくり説明すると、「あいまい/少ない非言語情報から、全体や要点を把握する力」のこと。

 

知覚統合が低いと、以下のような困難を抱える可能性が高まります。

 

①見たもの(視覚情報)を上手く処理できない

たとえば探し物が見つからない(目に入ってるのに意識に上がらない)など、見たものを情報として上手く処理できない。

 

②状況を見て行動するのが苦手

場の状況を見て、そこに合った行動をするのが苦手。周りを見てどうすべきか判断しろと言われても、適切な行動をとるのが難しい。

 

社会的には、非言語情報をすばやく処理できる能力はすごく重視されるんだ…

知覚統合が低いと、社会適応力も低くなっちゃいやすいんだな。

 

知覚統合が低い人の困り感

 

実際に知覚統合凹のみなさんから寄せられた、困り感の実例をあげます。

 

●段取りが下手。物事の優先順位を組み立てられない。効率よく作業をこなすための計画を瞬時に考えられない。

 

●場の状況に合わせて一手先を考えるのが苦手。バーベキューなどで、何を手伝えばいいのか、自分の動き方がわからない。

 

●ネクタイの結び方、裁縫の縫い方など、口頭はもちろん、図解があってもわからない。

 

●図書館で本を探すのが苦手。

 

●遅刻常習犯。ひどいとドタキャンしてしまう。

 

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知覚統合凹の方は、やはり物事を目で見て捉える力の弱さを実感しているようでした。(ネクタイや裁縫の困難、本を探せない等)

 

わたしいまちも知覚統合凹なのですが、折り紙が本を見ても折れない、読書をしていてちょっと目を離すとどこを読んでいたのか見失うなど、同様の理由で苦手と感じていることが多いです。

 

また、状況に合わせて動けないことや、遅刻癖などは社会適応に大きく関わりますね。

 

なお遅刻癖は、状況を見て段取りを組むのが苦手なことから、時間に余裕をもって動けず起こってしまう症状だと考えられます。

 

解決策としては、やはりまず焦らずに時間をかけて取り組むこと。言語理解凹の人が言葉の取捨選択に時間がかかるのと同様に、視覚情報を処理するのにも十分な時間があれば可能な場合が多いからです。

 

また、状況判断が難しいなら思い切って周囲に何をすべきか聞いてしまう、というのが一番だと思います。

 

でも、あんまり聞いてばっかりだと周りから疎まれそうじゃないか?

たしかにね。
周りに尋ねるときには、「恥ずかしながらわからない」「申し訳ないけれどもう一度教えてほしい」みたいに、つねに低姿勢でいることが大事かも。(私はそうしてる)

社会に適応するって…大変だよな…

 

遅刻癖は、前日に持ち物などは準備をしておく、時間にはかなり余裕をもって行動する、などを心掛けるしかないかもしれません。

 

処理速度って何?低いとどうなるの?

 

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処理速度は、動作性IQに分類される群指数です。

 

ざっくり説明すると、「頭と体のすばやさを速くするための力」のこと。

 

処理速度が低いと、以下のような困難を抱える可能性が高まります。

 

①動作が遅い

普通の人と同じ作業をしていても、倍近い時間がかかってしまう。体そのものを動かすのが遅いため。

 

②思考がゆっくり

 脳内で物事を理解するのがゆっくりで、しばしば会話などについていけなくなる。

 

やたら処理に時間かかる昔のパソコン」って例えられるよ。じっくり時間をかければできることもたくさんあるんだ!

Windows 98的な…

 

処理速度が低い人の困り感

 

実際に処理速度凹のみなさんから寄せられた、困り感の実例をあげます。

 

●動作がトロく、正確でないと言われる。ファストフード店でのバイトは、行動が遅すぎて目も当てられなかった。

 

●考えながら手を動かせない。考えようとするとフリーズする。

 

●会話をしていて、内容にピンとこないことがある。

(⇒あとから「あの時のあれは、こういう意味か…!」とハッとして急に理解できることもある)

 

●会話の速度についていけない。人狼ゲームなどは、状況を理解しようとしている間に議論がどんどん進んでしまい、発言できないことで怪しまれて処刑されてしまうほど。

 

●学生の頃、テストを解くのが遅かった。最終問題までたどり着かないこともあった。

 

●字を書くのが遅い。「レポートを〇分で△字書け」のような課題が時間内に終わらない。

 

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わたしいまちも処理速度がもっとも低い当事者なので、すごく「そうそう!それ!」という感じになるご意見が多々ありました。

 

処理速度凹さんは、自分のポンコツPC感をすごく感じてしまうんじゃないかな…と思います。(考えながら手を動かせない、会話の内容理解のタイムラグ等)

 

あと、人狼は個人的にものすごく苦手ですね…!

 

オンライン人狼というものをやったことがあるのですが、状況理解に時間がかかるのに、ゲーム中はそれらをスピーディーにやらなくてはならない。

チャットを読むのにも人の倍近く時間がかかる。さらに文章を打つのにも時間がかかる。

 

まったくついていかれなくて、速攻退散した思い出…笑

 

 あとはやはり、動作そのものの遅さに悩まされている方もいらっしゃいましたね。

 

わたし自身そうだったのでとてもよくわかりますが、バイト先は本当に慎重に選ばないとかなり苦労すると思います。

 

ファストフード店はもちろん、ラッシュ時にスピーディーにお客を捌かないとならないコンビニやスーパーのレジなんかも向いていないと思います。(コンビニ・スーパーともに経験あり)

 

わたしは結局、幼稚園でのアルバイトしか長続きしなかったんだよね。もちろん別の大変さはあるけど、スピードよりもじっくり子供に関われることが大事だったからかも。

 

 解決策は、スピードが重視されるようなシチュエーションにあまり自分を置かないことだと思います。

 

自分の動作スピードだけは上げようがないので、自分がのろいことで周囲に迷惑がかかる状況には首をつっ込まない方がいいです。

 

あと、テストが解き終わらない問題は、相談すれば時間延長などの配慮をしてくれる場合もあるようなので、上手く活用していけるといいと思います。

 

 

 まとめ

 

今回のアンケートからこの記事を書くに至るまで、わたし自身WAIS‐Ⅲの結果や群指数についてあまりちゃんと分析したことがなかったので、新しい発見がたくさんありました。

 

群指数ごとにそれぞれの困り感があり、さらにいくつかの群指数が低い場合は、合わさって別の困り感が生まれている場合もあるだろうと思います。

 

症状や困り感は人それぞれなので、これらのデータはあくまで参考にしかならないとは思います。

 

ですが、改めてじっくりWAIS‐Ⅲの結果と向き合うことは、確実に自分のことをもっと深く知る良い機会になったと思いました!

 

アンケートにご協力してくださった皆さん、重ね重ねありがとうございました!!

 

 

発達障害児は「好きなことで、生きていく」のが正解だという話

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こんにちは、いまちです。

 

 今回は、発達障害のお子さんをもつお父さんお母さん、そして自分が子供のころ周囲についていけずに苦しんだ経験のある方へ向けてのお話です。

 

好きなことで、生きていく」って言葉、ありますよね。

 

これは、YOUTUBERを象徴するキャッチコピーとして、一時期かなり話題になった言葉ですね。一度くらいは、どこかで聞いたことありませんか?

 

わたしはこれ、発達障害をもつお子さんにとても勧めたい生き方・考え方だなって思うんです。

 

発達障害児は、周りの定型発達の子(障害のない子)と比べ、極端に何かできなかったり、できてもすごくペースが遅かったりするんですよね。(まあだから障害なんですけど)

 

わたし自身が発達障害で子供の頃そうでしたし、今保育園で働いていてそういう子がいるのを見ていると思うんです。

 

世の中のペースについていけない発達障害児にとって、苦手なことに直面し続ける日常は、本当に心を摩耗する地獄みたいな日々だろうなと。

 

発達障害児は苦手なことが多く、自尊心が育たない

 

保育士をしていて感じるのは、発達障害のある子供は、やはり定型発達の子よりも苦手なことがたくさんあるんだな、ということ。

 

その子その子によって苦手なことに傾向の違いはありますが、共通しているのは集団生活に向いていないということだと思います。

 

これはわたし自身の幼少期にも言えることで。

 

わたしはWAIS‐Ⅲという発達障害かどうかを判断するための検査を大人になってから受け、動作性IQが平均よりもかなり低いことが判明しました。

 

ちなみに動作性IQが低いと、

  • 見たものを理解するのに時間がかかる
  • 作業スピードが遅い
  • 手先が不器用

などの困難があります。

 

 それで、子供のころからずっと周囲に「のろま」と言われてきた所以がようやく最近わかったのですが。

 

自分が子供だったときにはそんなことは当然わからないわけです。

 

理由がわからないのに、気が付くとわたしは「のろま」で、世の中がものすごいスピードで回っているような感じがする。

 

 子供のわたしにはこれはとてもつらい経験でした。

 

周りの子たちが当たり前にできるようなことに、いちいち時間がかかってしまう。

 

たとえば文字を書くのが遅いので、板書が追いつかない

 

手先が不器用なのに急いで書くから、ノートはいつもぐちゃぐちゃ

 

そのノートを見て、「わたしはなんて字が汚いんだろう…」といつも自己嫌悪です

 

一事が万事こんな調子で、おまけに周りからの評価も「こいつはのろま」なんですから。

 

これじゃあ自尊心が育つわけがないんですよね。

 

発達障害児は、このように苦手なことが多くて、なおかつそのせいで集団生活に上手くなじめなかったりついていけなかったりするので、周りから叱られたり馬鹿にされたりしやすいんです。

 

結果、自己肯定感がない、自分に自信のない人間になっていってしまう。

 

わたし自身がそうだったので、よくわかります。自分の強みがわからない人生は本当につらく、つまらないものです。

 

じゃあどうすればいいのか、と言ったら簡単です。

 

褒められる経験があればいいんですよね。

 

じゃあそのためにどうするべきなのか、と言ったら、ここで最初の話に戻るわけです。

 

好きなこと」をすればいいんじゃない?と。

 

「好きなことで、生きていく」と、自分に自信が生まれる

 

ここで質問です。

 

みなさん、子供のころ、特に幼稚園から小学生くらいまでのころ、自分が得意なことは何かわかっていましたか?

 

小学校高学年くらいになれば、「自分は算数が得意」「サッカーが得意」「人を笑わすのが得意」なーんてちょっとはわかってくるものでしょうが、それより幼い幼稚園~小学校低学年くらいのころまでは、きっとみんな何が得意かなんてよくわかっていなかったはずです。

 

だって幼ければ幼いほど、人は得意・不得意ではなく、好き・嫌いで物事を判断するものだから。

 

子供が何かをやるための導入って、必ず「好き」「楽しい」という感情から始まるんですよね。

 

好きなことだから続けていく⇒得意につながっていくものなんです。最初からいきなり得意だってわかっているようなもんじゃない。

 

もし、あなたのお子さんに発達障害があるなら、その疑いがあるなら、あるいは周囲についていけてないように感じられて心配なら、ぜひ好きなことをたくさんさせてあげてください

 

そして、それを褒めてあげてください。

 

苦手なことが多く、周囲に置いていかれがちな発達障害児にとって必要なことは、山のような苦手を克服することよりも、集団に合わせられるようになることよりも、その子の生きていける分野を見つけてあげることなのです。

 

その子が好きでうち込めるものなら、なんだってかまわないと思います。

 

勉強やスポーツ、アートなどわかりやすいものだけじゃなく、たとえばおしゃれだとか、ゲームの上手さとかだってかまわないと思います。

 

「上手だね。すごいね。」

 

褒める言葉が上手く見つからないなら、それだけでも言ってあげてください。

 

子供は素直で、そして案外単純なものですから(悪口ではありません)、自分の親から褒められると「そっか、わたしはこれが上手なんだ!」とすんなり信じます。

 

大事なのは、その子の自尊心を育むこと。

 

たとえその分野で生きていくことが厳しい(ピアノが得意だけど音大に行けるほどではない、とか)ということがあとでわかっても、自分に自信のある子供はその後自然に自分の道を見つけていけるものです。

特に、発達障害児興味があることにはとことん打ち込む性質があるから、自信をもてれば伸びしろが大きいんだよ!

 

好きなことで、生きていく+褒められる経験=生きる力を作る、ということなんです。

 

自尊心をもてずに大人になってしまったあなたへ

 

もし、あなたが自分に自信をもてないまま大人になってしまい、まだ苦しんでいるなら。

 

あなたを救う鍵は、あなたの中にあります。

 

あなたの心の中には、トラウマ、あるいは思い込みという苦しみの根源となる呪いがかかっているのかもしれません。

 

発達障害を疑っているけれど、検査をしていないのではっきりしない、という場合は、一度検査を受けてみることをおすすめします

 

自分の苦しみの原因がわかると、それだけで少しすっきりしますよ。