ジココウテイカンとリンゴ【よわいこころのよみきりたんぺん】
これはとある3つのリンゴのおはなし。
3つのリンゴはえいちゃん、びいちゃん、しいちゃんといって、見た目はおんなじ青リンゴ。
けれどそれぞれ、べつべつのくだもの屋さんに送られて、三こ三ようのじかんを過ごしました。
そらいろくだもの店のおじさんは、ことしのリンゴがいつにもましていいにおいだということを知って、大よろこびでした。
木箱をあけたとたん、甘酸っぱい蜜のにおいが部屋じゅうを花やかにとびまわり、おもわずおじさんは胸いっぱいにそれを吸い込みました。
そして、えもいわれぬふくよかな気持ちになって、箱のなかのえいちゃんと目が合いました。
ふうわりふわりと花のにおいをまとったえいちゃん。
おじさんとえいちゃんはにっこり微笑み合って「やあ」「初めまして」とあいさつを交わしました。
それからおじさんは、来る日も来る日もえいちゃんのにおいをかいでは、
「おまえはなんていいにおいなんだ。世界じゅうのうつくしい花からミツバチが蜜を集めてきたとしても、こんなにゆたかなにおいにはなるまい。」
といいました。
えいちゃんは、自分ではにおいを感じることができませんでしたが、おじさんがいつもそういうので、「そういうものかな」と思っていました。
また、おじさんはこうもいいました。
「おまえのいた果樹園では、きっとおひさまの光のつぶをありったけ集めて、おまえたちリンゴにかけてまわるのが日課だったんだろう? おまえのにおいは春の日ののどかな昼下がりにする、しあわせな日向ぼっこのようだ。」
じかんが経ち、えいちゃんはじゅうぶんに熟した真っ赤なリンゴになり、お店に並ぶことになりました。
ちゃんとお客さんに気に入ってもらえるかしら。
少しだけ不安なえいちゃんに、おじさんはこんなことをいいました。
「おまえはとてもいいにおいだから、きっとそのまま店に出してもだれかに買ってもらえるだろう。だけどもし、おまえをそのにおいごと絞りだし、あまさずジュースにしてしまったら、とても濃く甘いしあわせのジュースになってたくさんの人を楽しませることができるかもしれないのだが、どうかね?」
えいちゃんは、それはなんとすばらしい考えだろうと思いました。
もちろん、自分にそんなにたくさんの人たちをよろこばせる力があるのかしら? と頼りない気持ちもありましたが、おじさんが毎日のようにえいちゃんのしあわせのにおいを教えてくれていたのを思い出すと、なぜだか自分はきっとよいかおりのするおいしいジュースになれるだろうと思うことができました。
そうしてえいちゃんは、勇気をだしてジュースになることを決めたのでした。
おじさんのいったとおり、えいちゃんはほんとうにおいしいジュースになって、「しあわせのリンゴジュース」はそらいろくだもの店の看板メニューになりました。
飲んだ人たちは口々に、みなこういったそうです。
「このジュースは、味ももちろんおいしいけれど、とってもとっても、世界一いいにおい!」
夕焼けフルーツショップには大きな鏡があって、お店の人やお客さん、そしてくだものたちのすがたを毎日毎日うつします。
びいちゃんは鏡にうつった自分を見て、ほかのリンゴたちよりも、自分がいちだんとつやつやに見えることをみつけました。
「ねえねえわたしって、すっごおくぴかぴかじゃない? 水を浴びていないのに、浴びたみたいにかがやいてる!」
びいちゃんがお店のおじさんにいうと、おじさんは忙しそうにしながら、
「うんうんそうだねえ。ぴかぴかだねえ。」
と答えました。
とても大きなくだもの屋さんなので、お店の人たちはいつでも大忙しなのです。
またあるとき、びいちゃんはおじさんの奥さんを呼び止めて、
「見て! 窓辺に立つと、日差しがあたって光の輪ができる! これってとてもきれいじゃない? 裏口のクモの巣にできる銀の朝つゆにだって負けないわ!」
といいました。
奥さんは両手に重い荷物を抱えて、
「そうねえ。きれいねえびいちゃん。」
と微笑みました。
おじさんの子供たちもときどきお店にやってきて、売り場を眺めたり、おやつに奥さんが切ったくだものを食べたりしています。
ふたりの子供のうち、男の子のほうはリンゴがきらいで、びいちゃんを見ても
「ぼくきらい。さくらんぼが、いい。」
といいます。
びいちゃんは「そんな子もいるのね」と思いました。
それで、子供たちが遊びに来ると、女の子のほうだけを呼び止めて、
「わたしを食べたい? おいしそう?」
と聞きました。
女の子は決まって目を輝かせて、
「食べたい! ねえ、いまかじってもいい?」
というのです。
「わたしはじきに赤く熟れて、お店に並ぶリンゴだから、だめよ。」
というと、女の子はとても残念そうにするのでした。
そしていよいよ、びいちゃんがお店に並ぶ日が来ました。
びいちゃんにとって、待ちに待った日でした。
びいちゃんは奥さんに頼んでやわらかい布をもってきてもらうと、それでからだをきゅっきゅっとこすりました。
すると、びいちゃんのからだはいつにもまして、まるで真っ赤に輝く夕日のように美しく輝きはじめました。
鏡でその姿を確認すると、びいちゃんはとても満足して、お店の台の上に並びました。
その日の夕方ごろ、小さな男の子をつれた女のお客さんに、びいちゃんは買われていきました。
女の人がどれにする? と男の子に聞くと、男の子はしばらくじっと台の上のリンゴたちを見比べてから、びいちゃんを手に取ったのでした。
びいちゃんは、次の日の男の子のお十時のおやつになりました。
男の子は小さなからだで、びいちゃんをまるまるぜんぶ食べてしまったのでした。
しいちゃんはものすごく悩んでいました。
雨だれフルーツ店のおじさんが、
「おまえはいずれすぐ熟すだろう。そうなったら、どんなふうにして店に並びたいのか、よく考えて決めておきなさい。」
といったからです。
おじさんは送られてきたときにひと目でしいちゃんが気に入り、きっといちばんいいかたちでしいちゃんをお店で売ってやりたいと思ったのです。
けれどしいちゃんには、こんなふうにしてお店で売ってほしいなあという夢なんかぜんぜんありません。
どうやって、決めたらいいのかしら。
いくら考えてみても、しいちゃんにはよくわかりませんでした。
それでしかたなく、しいちゃんは勉強をしはじめました。
リンゴについての本をよんで、どんなふうにお店に並べばいいのか、考えることにしたのです。
「リンゴにもそれぞれ個性があって、それによって何に使うのかを決めるとよい。」
本にはそう書いてありました。
でも、しいちゃんには自分がいったいどんなリンゴなのか、何に使うのに向いているリンゴなのか見当もつきません。
毎日毎日調べてもまったくぴんとこないまま、からだは少しずつ赤く染まってきていました。
このまま赤くなりすぎちゃったら、どうしよう。
もしかしたら、もう食べごろなんてとっくに過ぎてしまっているかもしれない……
しいちゃんはだんだんとどきどきしてきました。
心配になって、古くなったリンゴの使い方をよんでみると、そこにはリンゴジャムのつくり方が書いてありました。
しいちゃんは、あ、これだわ! とよろこんで、おじさんに
「わたし、リンゴジャムになるわ! そう決めたの!」
といいました。
するとおじさんはため息をついて、
「うちはジャムはイチゴかマーマレードしか置いてないんだ。リンゴジャムはあんまり売れないからね。」
しいちゃんは心の底からがっかりしました。
せっかく、見つけたと思ったのに。
落ち込んでいるしいちゃんに、おじさんがいいました。
「だったら、タルトなんてどうだい。リンゴのタルトだったら人気があるし、値段も高く売れるんだよ。いい考えだろう?」
おじさんは実は、よいリンゴを仕入れることができたら、それを使ってタルトをつくってみたいと思っていました。
それはおじさんの夢でした。
けれど、タルトはなんだか女の子みたいだなあ、と思うと、恥ずかしくってだれにもいうことができなかったのでした。
おじさんはほんとうは、しいちゃんを見た最初からタルトをつくるという夢をぼんやりと思い出していましたが、タルトをつくりたいなんて、照れくさくてやっぱりいいだせなかったのです。
だから、しいちゃんが自分から、わたしをタルトにしてほしい、といってくれるのを、心の奥のほうでほんの少しだけ願っていました。
それでも、しいちゃんがタルトのことをいってくれなかったので、おじさんは、よし、と意を決して提案したのでした。
しいちゃんは、けれど自分がタルトに向いているとはとても思えませんでした。
タルトに向いているリンゴはにおいが良く、つやもあるおいしいリンゴなのだと、しいちゃんがよんだ本には書いてあったのです。
タルトはいやだとしいちゃんがいうと、今度はおじさんががっかりした顔になりました。
「それなら、好きにお店に出ればよい。でも、ジャムはうちには置けないからな。」
おじさんはそういうと、仕事に戻っていきました。
しいちゃんは悲しくなってしくしく泣きました。
そうしてずうっと泣いていると、あるとき、くらりと力が抜けて、しいちゃんはころりと台の上から転げ落ちました。
それをみつけたおじさんが、しいちゃんをしずかに拾い上げ、お店のすみの、「わけありリンゴ 一個五十円」という札の下がった棚に、それをぽとんと置きました。
とある3つのリンゴのおはなし。